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2007年6月

一夜明けて

ヨチュオの日記にうぉんうぉん書いてあるので、わたしの感想は省きます。ただ、今朝目覚めたとき、自転車に乗って会社に向かうとき、なんだかとても幸せな気持ちでした。

ケリー・ヨストのピアノの音色に癒されたのか、座間味島で聴いたクジラの歌を思い出していたからか。都会に住んでいるのに自然とつながっているような ほんわりと優しい。。。そんな感覚。

そして、龍村監督のことばをひとつひとつ思い出しながら、ここ数年会いに行った、ジェーン・グドール博士やボブ・サムや、内田正洋さん、旅を通じて出会ったたくさんの人や自然、最後にはホクレア号に会ったときの感動を思い出して、自分の中に生きる力がどんどん沸いてきているのを感じた。

生身の人間や自然から直接受けるパワーのなんと大きいことか。すこしずつ、すこしずつ進みたい道が見えてきているような

そんな気がするのだ。

ヨシコ

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地球交響曲第6番

龍村仁監督に会いに行く。

地球交響曲第6番という映画を見たのだが、今回は音に関するテーマだったので、非常に興味深かった。今もクジラの声を聞きながらこの文章を書いているのだが、音は偉大だなと思う。

そこに実態がなくとも過去の記憶とリンクする。視力をもって今日の奈良裕之さんの動きを見ていると、髭をたくわえた男が弓を持ってグルグルと回転し、音を奏でているだけなのであるが、心の目で見ればそこには風があって、豊かな情景が心象となるのです。

音楽をやっていた人間としてなるほどと感じたことは、ジャムセッションのときである。楽譜もなしに、音楽はどんどん進むのは、自分の音を出すとともに、他人の音をよく聞くからこそ、響き合い、ひとつのハーモニーとなる。それは社会に通ずる物の見方でもあるのです。

星野道夫は、「明日、たとえ地球が終わろうとも今日、リンゴの木を植える」といいます。この言葉に希望を見出すのはボクだけでしょうか。それはこれからの環境問題を考えていく上で、ひとつの大きな指針となると思うのです。数年後に温暖化で水没するなど、危機感を煽る言葉がメディアにのりはじめたこの時期に(確かに現実としてそうかもしれませんが)、どこか心豊かに行動できる言葉だと思うのです。それは仕方なく動くのではなく、そこから主体的な意思の力を感じるからなのです。

どのような世界が理想なのか。実はそれは大切なことではなくて、もっと真剣に取り組まなければならないのは、プロセスであると龍村さんは言う。理想を決めてしまったことで、プロセスを自分が思いもしない事象で曲げてしまうのは、おかしなことだと言うのです。理想のイメージと、ポジティブな考えが大切で、でも何かをコントロールしようとするとおかしなことになり、具体的な1歩を踏み出すことだけが必要なのです。

また龍村さんは、人という種に生まれてきて、自分自身の道、そのことを知ることが楽しく、またその本質というのはすでにアナタの中にあるのですと言う。あの人は尊敬できる人だという気持ちは不思議なもので、すでに自分の中にあるものを何故あこがれるのかと疑問に思うそうです。誰もが普通の人で、経歴を見ると確かにすごい人はいるが、その人は自分の得意とした分野で戦う意思がものすごく強い人であって、それは傲慢なのではなく、やさしい目に象徴されるように、とても純粋なんです、と笑顔で話してくれる。

確かにジェーン・グドール博士からはじまり、最近では内田正洋さん、ナイノア・トンプソン氏とお話する機会を得ましたが、龍村さんの言葉は見事に腑に落ちる。アナタがすごいと感じている人は、とても普通の人ですよ、という龍村さんの言葉は、アナタも普通の人だからすごいことが出来る可能性を多分に含んでいるのですよ、ということの裏返しにすぎない。

そして長屋和哉さんとお会いしたとき、「一度会っていますよね?」と言われた。一度も会っていないのにそんなことを言われて面食らう。でも、実はどこかで会っていてもおかしくなくて、それは時間の軸を通り越したところでもいいわけで、素敵な言葉だなと思うのです。握手したその先に、人のぬくもりを感じることが、今、ボクが生きている証なわけで。

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