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2007年10月

動き出す

こころが動くと、自然と何かが動き出すことがある。

どんな心境の変化か、デジタル一眼レフカメラを手にしてから。ひとつ初めての写真の仕事を終えた。その数日後、故郷の鳥取に帰って実家の家業を手伝っている友人から電話が鳴った。

「ヨシコさん。写真を撮ってほしいんです。お仕事で。」

この前のお仕事は物撮り、今度は家。今までは人ばかり撮ってきた、スナップ写真ばかり撮ってきた。ピントより露出よりヒト、ヒト、生きているもの、自然に夢中になって。でも、初めての物撮りで、ヒトを感じた。家を作るのもヒト。撮影が楽しみだ。

ヨシコ

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楽しもう

Higashiotafuku1

夢中になるのは素敵なことだ。

ヨシコ

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東お多福山はもう秋だった

東お多福山

芦屋川駅からバスで登山口に向かい、そこから山道へと分け入る。今日は、長らく山に入っていなかったので、近くの低山でリハビリがてら秋を満喫したいと願ったからだ。山の名前がとても素敵で、福が多くあるのだからこれはいいと思う。朝、ベッドから見る空があまりにも青かったので飛び起き決行。近くのゴロゴロ岳も、まったりとした名前だから興味をそそるが、今日は幸せな気持ちになれるであろうこの山を選んだのです。

日差しは柔らかく、落ち葉の季節だから山道も絨毯のようで、色とりどりの模様を見せてくれる。ヨシコは以前の山登りで、ヒザを少し痛めていたので、前日にLEKIのストック(MUエルゴメトリックロングアンチ)を2本買う。これによってヒザ、腰への負担はかなり軽減されたようで、いつもより登るスピードが速くてびっくり。心配のないことが一番なのだ。

草原

東お多福山は、山頂より少し雨ガ峠に向けて南下したところに草原があって子どもたちが遊んでいる。数千メートルの山々よりも、このような風景が好きなのはボクだけであろうか。澄んだ空気と青い空、秋に向けて赤く染まりゆく山々の下には、無邪気な声が一番似合う。彼らの身体から発せられるエネルギーは、自然からいただいたものの塊のようだ。今、ボクが吸っている空気も、歩いている山々も、未だ見ぬ未来の子どもたちから先にお借りしているものだから、大切にせねばと思う。

東お多福山山頂

山頂からは神戸、大阪の街が見渡せる。ヨシコが朝からオニギリ、卵焼き、サラダなど作ってくれていたので、ふたりでパクリ。駅前で買ったキリンビールも最高。のんびりと過ごす。目の前からバッタが飛ぶ。その風景は前日に見た映画「水になった村」を思い出させるに十分であった。岐阜の山村がダムに沈むまでのドキュメント。村が水に沈む日、逃げ惑うバッタの姿があった。その村にはダムを受け入れる悲壮な風景があるのではなく、最後まで住み、野山からの恵みを受けたジジババの笑顔と笑い声。この山頂から見下ろす神戸や、大阪が海に沈むとき、ボクたちの笑顔と笑い声がそこにあることと同じなのだ。

住吉川の水の中

住吉谷。今日も山からいずる細き川の中で、落ち葉が土に帰ろうとしている。「水になった村」で見た「徳田じょ」さんは、来年にも村が沈むというのに、わさびの若いものは抜かず、大きくなっていつか収穫できるよう心をこめて土に戻す。この落ち葉も、この水の流れ行く果てがボクたちが汚してしまった瀬戸内の海であっても、自然の法則のままに養分を水に与え、そのチカラは木々の栄養となり、または海に住む魚を育む藻や海草を育んでいく。全てはつながっていて、それが相互に作用することでバランスがとれている。それはヒトのカラダも心もきっと同じなのでしょう。

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自然なカラダの動かし方

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駅前の人通りが多い路上でヨシコがしゃがみこむ。その目の先にあるのは自生するヨモギさん。嫌な予感。もしかして、過去の登山中に味をしめたヨモギを鼻につめてることで演出される快適な鼻腔空間をこんなところで実行するのではあるまいな。ヨモギさんをブチ。くしゃくしゃ。ぶす。やっぱり鼻につめてこっちに走ってきた。

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イッツ・ショータイム。さて今日は堺にあるヨシコの友人のカフェ、パンゲアにて「癒し祭り」に参加する。堺駅から程近く、魚が海面をジャンプするマリーナの横にそびえる倉庫を改装してそれはあった。中に入ると地球交響曲第6番のサントラが流れリラックス。さっそく自然なカラダの動かし方を「平野あきら」さんに学ぶ。

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私たちの身体も自然の一部であってアタマがあまり口を出すとせっかくの自然な運動が損なわれてしまう。心静かに自分の身体の自然で豊かな能力に気づいていくというこのワークショップ。知性派?のボクは理論先行で中々難しく、感受性先行のヨシコは、とてもなめらかに体得する。理屈では説明できないが、まるで古武術のようで、確かにカラダの使い方が変化していく不思議な経験。水が岩にあたってもするりと下方へと流れるように、またそこに染み込む余地があるのであれば染み込むように、自然の流れに身をまかせ、実現したいイメージを持つことが出来れば、細胞のひとつひとつが連動し、筋肉に伝わり、骨が収まるべきところに配列され、全てがバランスよくなったとき、力任せになることなく自然とカラダが動いてしまうのです。

Pangea3

カラダも動き、小腹も減っては癒されぬ。ヨシコはオニギリプレートを、ボクはグリーンカレーを。揺りかごのような椅子に腰掛けて、マッサージされている人々を見ながらまったりと時間が過ぎていく。

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まだま村とデジタルカメラ

まだま村

バスにゆらゆら揺られながら、念願の「まだま村」へ。茨木に住みたいな~と思っていた時、横浜でのホクレア号のイベントで知り合った方から教えてもらった場所だ。

家からバスで40分くらいの所なのに、さすが山を登ると空気が違う!引越からバタバタしていた「まったりし隊」は、久々に感じる緑の匂いと優しい空気にほっ。道端の草花を触ったり匂いをかいだりしながらのんびり歩く。

藁葺き屋根

「まだま村」は昔の藁葺屋根が美しい竪穴住居の縄文カフェで、中はしっとりと涼しくて気持ちがいい。縄文そば(ざるそば)とハーブティー、りんごケーキを食べるが、その美味しさに感激。ヨチュオが頼んだおそばがあまりにおいしかったので、ケーキを食べた後にわたしも注文しペロリと完食。あぁ、近くにこんな素敵な場所があるなんて。。。とまたまた茨木愛がふつふつと沸いてきて、改めてよかったなぁと思うのであった。

実は今まで頑なに拒んでいたというか、なかなか踏み出せなかった一眼レフデジタルカメラを思い切って購入し、今日は初の撮影散歩でした。マニュアルカメラ以外を使うのは全くの初めてなので昨晩は説明書とにらめっこ。オートの一眼レフも使ったことがなかったのでボタンの意味がさっぱりだったけど、なんとか一夜漬け?で使えるようになりました。

撮った写真をすぐに見れてしまうこと、他にもいろいろなことが「なんか違う」と思っていたけど、今日改めて写真を撮りたかったんだってことがわかりました。やっと自分の気持ちが追いついてきたのかもしれません。

もちろん今までどおりモノクロ写真も撮っていきます。

しっぽ

わが家があるハイツに住み着いている猫家族のいっぴき、しっぽが短い「しっぽ」。

すっかり冬毛になり、毛の色が変わって「あんただぁれ?」と言ってしまいました。

しっぽと声で「しっぽ」と判明。

ヨシコ

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お買い物日和

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今日は、お買い物日和なんです。

は~あ♪

お魚くわえて三丁目~~♪

走って走って四丁目~♪

カエルにつまずきすってんてん♪

はっ

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31回目の日

Ibaraki8

ハッピーバースデー、隊長。

ヨシコはボクを想って誕生日ケーキを買ってくれていた。

ボクは、前日、ヨシコが「じゃぁ、わたしも誕生日♪」というまったく意味不明なことを言っていたことを思い出し、急いで閉店前の阪急の地下に行き、フルーツたっぷりのケーキを買っていた。

誕生日おめでとう。

ふたりで言い合ってそれぞれケーキを開けると、ふたりとも巨大な1ホール。1+1=2ホール。こんなにいっぱい食べられないと墓穴ホール。でも2人の胃袋はブラックホール。それを信じてフォークを手にとーる。

さすがにたっぷりハンバーグを完食したあとの1ホールはかなりキツイ。生クリームが容赦なく胃袋に襲いかかり、満腹中枢を刺激する。

お腹が苦しくて死にそうだ。

普通ならヒトはそう叫ぶだろう。しかし、我が隊は常に前向きなのであーる。死ぬなんて言葉は絶対に吐かない。

うっ、生まれるー!!

お腹がちぎれて生まれてしまうー!

臨月だー!

そう、生きることに執着し、タタミの上をふたりして転げまわる。だって今日は誕生日なんですもの。

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「サッサ」ちゃんと「なん平」

Baraki5

それは我が家のホウキとチリトリ。

朝。

知り合いの雑貨屋さんで買ったフックを取り付け、ふと見るとネームプレートがあったので、ヨシコにホウキとチリトリに名前をつけてはどうかと聞いてみる。

うーん。

それじゃあ。

ホウキは・・・。

「サッサ」ちゃん!!

チリトリは・・・・。

「なん平(べい)」!

なんで「なん平」なん?

それはね、「南部鉄製」だから言うことと、

チリトリの「チリ」は南米にあるから「なん平」。

・・・。

ヨシコって意外とアタマいいね。

Ibaraki6_2

今日は階下の八百屋さんで朝採れタマゴを買い求め、釜で炊いた白米とともにタマゴご飯。タマゴと白米という無敵の組み合わせに、ごま塩少々。たまりません。

これまた採れたての生シイタケを軽くあぶっただけでパクリ。まるでステーキのような肉厚、口いっぱいに凝縮されていたエキスがほとばしる。とうもろこしも、はちきれそうな実をたくわえ、茹でたてを分け合い、甘いぶどうでしめる。

ハフハフ。

モグモグ。

さて、今日はどこに行こうかね。ヨシコさん。

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生きるということ

目の前に谷川俊太郎がいる。

Syunsyun

今日は京都の北山で詩のイベントに参加した。俊読という企画なのだが、大好きな詩人の言葉を空気を通して聴くことができるという素晴らしいものだった。

個人的には俊太郎の息子、谷川賢作に打ちのめされた。父である俊太郎に反発しながらも、全てを消化し、かつ愛し、そこから自己の主張をユーモアと音楽ともに上乗せしていく。そして彼の弾くピアノは、偶然にも鍵盤に連なるハンマーがむき出しで、さながら心を叩く魂の露出のようであった。さらに白鍵をかける指先はやさしくなめらかで、しかしながら音は質実剛健。父は何もない虚空から言葉をつむぎだし、彼は音を紡ぎだす。それは言葉となって想像の翼を大空いっぱいに広げていくのです。

活字となると吟味し、かしこまってしまいそうになるが、言葉というのはその人から発せられ、空間を飛び越え、あちこちに張りめぐらされた蜘蛛の巣のような感性が、耳をとおして捉えることで、それぞれの瞬間の中で生きていく。しかしそれはいずれ時間をも超越して、心にいつまで新たな波を立てることもできる素晴らしいもので、さらには日本語という言語の豊かさに、あらためて驚かされるものである。

帰り道。11歳の男の子が急いで電車に飛び込んできて、違う言語を話す人の隣に座る。するとその青い目の人は、笑顔で少年に異国の言葉で語りかけ、少年ははにかんだ笑顔を返すだけでも意思の疎通がなされていく。そこから言葉による会話が生まれ、出会い、別れがある。僕たちも別れ際、握手を交わし、そのぬくもりが心に届く。それは生きるということ。そして言葉はそれをさらに近づけ、豊かにしてくれるのです。

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まったりし隊がもし猫ならば。

Yoshikoneco_2

こんな感じだと思う。

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自然の色を暮らしの色に

主役は空と太陽と星と森、そして四季を謳う「箕面森町(みのおしんまち)」の広告が電車の天井からどこまでも連なっている。ヨシコと顔を見合わせ、ものすごく悲しい気持ちになる。履き違えられたグリーン・マーケティングとはこのこと。

そもそもそれを知ったのは箕面の滝を訪れたすぐだった。新御堂筋のカルフール付近から箕面の滝の上流を通過し、止々呂美地区を結ぶ5.6キロのトンネル、その名も『箕面グリーンロード』。実はこの工事で出た湧き水が、周囲の水系に変化を起こしているのです。湧き水の量は毎分7.4トンにのぼり、工事開始後、一時は5つの川が枯れたそうです。

その対策として道路公社は、川の水量を元に戻そうと、ポンプを使って湧き水の一部をくみ出し、トンネルの上を流れる川へ戻しています。自然に配慮しトンネル開通後は、毎分2.35トンの水をポンプでくみ上げることで、川のうち4本はほぼ元の水量に戻るといいますが、おかげさまで水質が変わってしまい、飲めなくなってしまいました。年間にすると、ポンプの電気量で約3,000万円程度の電気料金がかかります。今や府民の税金、たれ流しの滝。。(※もともと箕面滝の上流には「箕面川ダム」があり、箕面グリーンロードによる流量減少の復元の時点で「人工化」したのではなく、それ以前に箕面川ダムが出来たときに、既に「人工化」していたのである。また渇水年と重なって取材し、いかにもトンネル工事がこの問題の原因だとして報道しており、トンネル工事によって「人工化」したという報道は全くの虚偽であるという見解は議論のすり替えであろう)

さらに大阪府は98年から、総事業費2,011億円をかけ、1万6,500人が暮らすニュータウン作りに着手しましたが、絶滅の恐れがあるオオタカの巣が発見されたうえ、地価の大幅な下落で採算が取れない見通しとなり、開発は2001年に中断。ところがその後、府はすでに工事が着工していたことなどを理由に、街の規模を大幅に縮小して工事を再開。全て分譲できても750億円の赤字。

そもそもグリーン・マーケティングは「顧客や社会の要求を、利益を得ると同時に持続可能な方法で確認し、予測し、満足させることに責任を持つマネジメントのプロセスである。」と定義されています。誰の社会の要求を持って街づくりがなされるのか、自然の色を暮らしの色にする人が望む開発ではないのは明らかで、ましてや「箕面森町(みのおしんまち)は元にあった樹木の復元、生態系の維持を真剣に考えながら、街(いやいや里と呼ぶべきでしょうか。。。)づくりを実践しようとしています」ということを言うのであれば、何故、森を切り開き、山を削ったのか分かりませんし、オオタカと暮らせます♪という前に、わざわざ私たちがオオタカの住処に侵入してしまったことに気づかないのでしょうか?切り開いた森はすぐには再生、ましてや元には戻りませんね、未納森待ち(みのうしんまち)。

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