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東お多福山はもう秋だった

東お多福山

芦屋川駅からバスで登山口に向かい、そこから山道へと分け入る。今日は、長らく山に入っていなかったので、近くの低山でリハビリがてら秋を満喫したいと願ったからだ。山の名前がとても素敵で、福が多くあるのだからこれはいいと思う。朝、ベッドから見る空があまりにも青かったので飛び起き決行。近くのゴロゴロ岳も、まったりとした名前だから興味をそそるが、今日は幸せな気持ちになれるであろうこの山を選んだのです。

日差しは柔らかく、落ち葉の季節だから山道も絨毯のようで、色とりどりの模様を見せてくれる。ヨシコは以前の山登りで、ヒザを少し痛めていたので、前日にLEKIのストック(MUエルゴメトリックロングアンチ)を2本買う。これによってヒザ、腰への負担はかなり軽減されたようで、いつもより登るスピードが速くてびっくり。心配のないことが一番なのだ。

草原

東お多福山は、山頂より少し雨ガ峠に向けて南下したところに草原があって子どもたちが遊んでいる。数千メートルの山々よりも、このような風景が好きなのはボクだけであろうか。澄んだ空気と青い空、秋に向けて赤く染まりゆく山々の下には、無邪気な声が一番似合う。彼らの身体から発せられるエネルギーは、自然からいただいたものの塊のようだ。今、ボクが吸っている空気も、歩いている山々も、未だ見ぬ未来の子どもたちから先にお借りしているものだから、大切にせねばと思う。

東お多福山山頂

山頂からは神戸、大阪の街が見渡せる。ヨシコが朝からオニギリ、卵焼き、サラダなど作ってくれていたので、ふたりでパクリ。駅前で買ったキリンビールも最高。のんびりと過ごす。目の前からバッタが飛ぶ。その風景は前日に見た映画「水になった村」を思い出させるに十分であった。岐阜の山村がダムに沈むまでのドキュメント。村が水に沈む日、逃げ惑うバッタの姿があった。その村にはダムを受け入れる悲壮な風景があるのではなく、最後まで住み、野山からの恵みを受けたジジババの笑顔と笑い声。この山頂から見下ろす神戸や、大阪が海に沈むとき、ボクたちの笑顔と笑い声がそこにあることと同じなのだ。

住吉川の水の中

住吉谷。今日も山からいずる細き川の中で、落ち葉が土に帰ろうとしている。「水になった村」で見た「徳田じょ」さんは、来年にも村が沈むというのに、わさびの若いものは抜かず、大きくなっていつか収穫できるよう心をこめて土に戻す。この落ち葉も、この水の流れ行く果てがボクたちが汚してしまった瀬戸内の海であっても、自然の法則のままに養分を水に与え、そのチカラは木々の栄養となり、または海に住む魚を育む藻や海草を育んでいく。全てはつながっていて、それが相互に作用することでバランスがとれている。それはヒトのカラダも心もきっと同じなのでしょう。

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