生きるということ
目の前に谷川俊太郎がいる。
今日は京都の北山で詩のイベントに参加した。俊読という企画なのだが、大好きな詩人の言葉を空気を通して聴くことができるという素晴らしいものだった。
個人的には俊太郎の息子、谷川賢作に打ちのめされた。父である俊太郎に反発しながらも、全てを消化し、かつ愛し、そこから自己の主張をユーモアと音楽ともに上乗せしていく。そして彼の弾くピアノは、偶然にも鍵盤に連なるハンマーがむき出しで、さながら心を叩く魂の露出のようであった。さらに白鍵をかける指先はやさしくなめらかで、しかしながら音は質実剛健。父は何もない虚空から言葉をつむぎだし、彼は音を紡ぎだす。それは言葉となって想像の翼を大空いっぱいに広げていくのです。
活字となると吟味し、かしこまってしまいそうになるが、言葉というのはその人から発せられ、空間を飛び越え、あちこちに張りめぐらされた蜘蛛の巣のような感性が、耳をとおして捉えることで、それぞれの瞬間の中で生きていく。しかしそれはいずれ時間をも超越して、心にいつまで新たな波を立てることもできる素晴らしいもので、さらには日本語という言語の豊かさに、あらためて驚かされるものである。
帰り道。11歳の男の子が急いで電車に飛び込んできて、違う言語を話す人の隣に座る。するとその青い目の人は、笑顔で少年に異国の言葉で語りかけ、少年ははにかんだ笑顔を返すだけでも意思の疎通がなされていく。そこから言葉による会話が生まれ、出会い、別れがある。僕たちも別れ際、握手を交わし、そのぬくもりが心に届く。それは生きるということ。そして言葉はそれをさらに近づけ、豊かにしてくれるのです。
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