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2008年2月

玄米のチカラ

水曜日の昼すぎから「ん??なんかおかしい。。。」と思っていたら、会社帰りのJR大阪駅構内のトイレで吐くわ下すわのオンパレードで(お食事中の方、失礼します)まったく身動きとれず、仕事途中のヨチュオが駅まで迎えに来てくれ、茨木まで送ってくれた。仕事が終わってなかったからトンボ帰りで会社に戻っていったけど、ひとりじゃ絶対帰れなかった。。。

どうやらひどい胃腸風邪をひいたようで、家に帰ってからも治まらず、水も受けつけずでうんうん唸ってました。次の日の朝から身体の節々が猛烈に痛くなって、昼過ぎから高熱!久々につらかった~。ヨチュオが朝も仕事遅れていって、唯一食べれそうなリンゴやら必要なものを買出しに行ってくれたので、助かりました。

今日は月末だし仕事休めないので、なんとか出勤したけど、丸2日リンゴのすりおろし以外のものを食べてないからお腹は空くわパワーは出んわで、何か食べにゃと思って昼にうどんを少し食べるも身体に異変が。夕方まで「無、わたしは無だ」と唱えながら、ひたすら働きました。

うどんがダメだったので、家に帰って玄米みそおかゆ(大根入り)を作って食べてみたら、あれれ全然お腹がゴロゴロ言わないし、す~っと身体に入っていくではないですか。茨木に引っ越してきてから、家のご飯はほぼ玄米菜食だけど、病気になって改めて玄米のチカラを感じました。赤ちゃんの頃から身体の弱い私は、20代前半の無理がたたってか、事あるごとに身体が悲鳴を上げて次々といろんな問題が出てきてたけど、食事に気をつけるようになってからは6年前にカンボジアで勃発したアレルギー性鼻炎(病院に通ってもまったくだめだった)も嘘みたいに姿を見せなくなったし、以前に比べてかなり丈夫になってきた。毎日の食事は少し高価でも自然なものを摂ろうと心がけていて、調味料やら野菜やらを慎重に選ぶ。幸せなことに、家の1階には大阪近郊の泥つきのおいしい野菜を売ってくれる八百屋さんがあるし、近い産地の無農薬野菜や果物を使ったおいしいパン屋さんがあるし、隣の酒屋さんにはどこかの奥様がつけた昔ながらの沢庵が売ってる。本当に有難い。どれもとってもおいしいのです。スーパーで野菜を買うことはほとんどなくなった。おいしいし安心だからっていうのはもちろんだけど、自分がお世話になっている地域にお金を落とすことも大切なことだと考えるから。

以前は病気とあらばとりあえず病院へ行ってたけど、今は「家庭できる自然療法」東城百合子著を少しずつ実践している。決して西洋医学を否定するわけではないけど、身体に異変を感じたら、まず昔から伝わる自然な方法で緩やかに治療していくのがいいんだなぁと自分の身体で感じています。身体のサインをきちんと受け止めて、抑えるだけの治療じゃなく、もっと根本的な問題を考えて治療していく。熱が出るのも湿疹がでるのも、身体が治ろう!ってしてるからなんだよね。あぁ、食べるものって、ホントにわたしの身体を作ってくれてるんだな。

自然の恵みに感謝して、今週末は少しゆっくりしよう。

ヨシコ

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わしはマリンバに興味があるのだ

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何か質問のある方はおられますか?

吹雪の中、命がけで来たマリンバ奏者の方が会場の人に声をかけると、ハイッ!そのマリンバは何という木で出来ているのですか?日本の木ではこんな音は出ない!とおじいさんが手を挙げる。

林業が盛んだったからだろうか、針畑郷のおじいさんたちは木材に興味津々。この木はローズウッドという木で、南米の木なんです。どうぞ興味ありましたら、ぜひ皆さん触ってください。すると子どもは、道化師のギャロップのごとく体育館を走り回るだけで、おじいさんたちがわーっ!とマリンバに近づく。そしてこうなっているのかぁ、とばかりにあっという間にマリンバを解体してしまった。

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今日は針畑郷のふるさと感謝祭。小さな体育館に10人も満たない小学生の発表を、地域の人が優しい目で見ているのです。ヨシコも感極まって泣いています。また町とは違い、自分の子どもをバシャバシャと写真を撮影しまくる人もなく、また小さな子のお守りは、年長の子どもが自然とかってでて、自分の子でない子も地域の誰もが見守っている。また地域の人は子どもたちに仕事を与え、彼らを必要とし愛し、それに子らも応えているのです。

限界集落と呼ばれる地域ではあるが、針畑郷に魅かれて移住する若い世代もいる。ただ受け入れる環境として、この地域は小学校しかなく、教育の問題も出てくるし、代々と続くこの集落に空き家はあれど、古来よりの慣習によってなかなか譲渡が難しい現状もある。ただ老若男女、誰もが針畑郷の風土を愛し、自分に正直に生きておられる人々の集まりだから、個々の活動、生活とともに、ゆっくりとした変化がこの山里に訪れようとしているのです。

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山来帰にキツツキが迷い込む。寒さで倒れていたところをおじさんが連れてきて、ストーブの近くでじっとしているのです。山から来たこのキツツキは、やがて羽をバタバタさせて、また山へ帰っていく。ただケガをしているのかあまり飛べないようで、再び雪の中じっとしているのですが、やがて自然へと帰り、春を迎えることでしょう。

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あるく、みる、きく。この言葉を大切にしながら旅を続けているのですが、最後の聞くということが非常に難しい。誰かが口がひとつで、耳がふたつあるのは、話すことの2倍以上聞くことが難しいからだという話を聞いたことがある。

この針畑郷の旅でも多くの人からお話を聞くことが出来たのですが、このことを町で発信するにはまだまだ通わなくてはならない場所がいっぱいある。今は歩いて、歩いて、みてみて、聞いて。歩き続ければ何かにあたるのです。針畑郷のお宮さんに、ふたりでもう一度参ったときに、雪深い中をヨシコが歩いていく。それを大きな自然の力が小さなふたりを見下ろし、見守っていて、今の僕たちを象徴しているような景色がありました。

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山来帰に戻るとMさんが、小学校から帰って来たの?という。前にあの小さな体育館にオーケストラが来て、会場の8割がオーケストラ、2割が僕たちというおもしろいことになったんです。またそれはそれは大きな音で、子どもたちは指揮者がかっこいいからか、皆真似をしたんです。あっ、また雪が屋根から落ちてきた。でも雪とはあまり戦わないほうがいい。都会の人は何故か底が見えるまで雪かきをするのですが、また雪は積もるのです。そんなにがんばらなくても、掘った先にサクラが出てくるわけでもなく、ゆっくりと春を待てばいいのにね。Yさんが来たよ。もうお帰りですね。

また針畑へ来てください。

Mさんと別れの挨拶をし、ガラガラと扉を閉めて、白銀の世界を歩き出す。お金はなくとも熱き心があるぜよ!と、ヨシコが今後の我が隊の方針を宣言。何で土佐弁なのか分からないけれど、まだまだ旅は続くのです。

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針畑どんど

いつも写真を撮ることを目的にして行くことはほとんどありませんが、

今回は特に。。。撮らなかったなぁ。

でも、こころとからだにはちゃんと残ってます。

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おいしいお餅ができるまで。

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あぁ、素晴らしきかな書初め。

みんなのおもい。

この2日間が今も頭の中をぐるぐるまわっています。

ヨシコ

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吹雪の針畑どんどは温かな希望の炎なのだ

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点火ちょっと待ってー!そんな声をよそに、とっくに燃え上がる針畑のどんど。今日は旧正月なので、嵐が来ようが、雷が来ようが延期はなし!とおばあちゃんがその意義を教えてくれる。今年で7回目を迎える針畑のどんどは、昔から住む人をも巻き込んで、ゆっくりと根をおろしつつあるのです。

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働かざるもの食うべからず。針畑で昼食をいただけることを知ってヨシコが宣言。朝からこの祭りを手伝うぞ!と、5時半に家を出て、途中、近江高島の近くで朝日を見る。琵琶湖がオレンジ色に染まって本当に美しい。早起きは三文の得とばかり、バスに乗り換え朽木まで。バスの運転手さんは、右に曲がりま~す!左に曲がりま~す!と声をあげ、お年寄りに配慮されているのか、とても温かみがある。下荒川から乗車した小さな子どもが暴れだすと、危なーい!まだ座ってなさーい!と運転手さんが注意。その子たちもすぐにおとなしくなるのです。

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ぎゅぎゅぎゅ。雪を踏み固めて祭りの場をつくっていく。朽木からさらに1時間乗ったバスの運賃が220円という安さにビックリ。お願いだから高島市さん、もっと料金を取らないとこの地域を活性化するためにもお金が落ちませんよと嘆く。せめてお年寄りの多い地元の方は格安年間パスで、僕たちのような旅人からは、きちんと対価を払えるようなシステムが必要だろう。ともかく着いてさっそく、祭りの準備を大人から子どもまでせっせと働き、杉、茅(かや)、葦(よし)と積み重ね、どんどを作っていく。葦を触っていると、2ヶ月前の針江での葦刈りに参加したことを思い出す。僕たちの旅もどんどんとつながっているのだ。

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トントントン。吹雪いてきたので、ひとまず餅を山帰来という施設でつきます。Mさんが、用意してくださったお米がみるみるとおいしい餅へと変わっていく。薪ストーブの横でおばあさんが藁(わら)で紐を編んでいて、どうしてそのように編めるのかと聞くと、まぁ、難しいことは覚えませんが、藁を編むのはどうしてか覚えておりますなぁと、経験からくると言う。終始ニコニコ、走り回る子どもたちを見ては、あの子はどこそこの子と誰もかもご存知で、この地域の人間関係は、とても密接なものがあるのです。

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どんどのためにお宮参り。吹雪の中、服2枚で走り回る子どももいる。子どもは風の子、ほっぺを赤くしてケケケとばかりに笑っているのです。真っ白な世界にパッと番傘が咲く。その下でおじいさんが顔に刻まれた年月をくしゃりとさせて、優しい眼差しをくれる。そして膝まですっぽりと入る雪の中、いよいよ針畑どんどが佳境を迎えます。

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大きな炎が吹雪きの中、真っ赤な色を撒き散らす。時たまパンッという竹の爆ぜる音が谷に木霊して、書初めが空にのぼります。毎年、年男、年女が火をつける。今年も大阪から来られた方もふくめ点火されました。ただでさえ真っ白な世界なのに、風下となるとその煙がすごくてさらに真っ白。どんどの周りに紐で年男、年女の人以外の人がどんどに近づけないようになっているのですが、盛り上がってくると地元のあるおばあさんが、子年じゃない人も入るよー!と駆け出して、僕たちもそれに続く。おばあちゃんは走りながら、私は未(ひつじ)年よー!と叫んで炎に向かっていくのです。

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誰もが幸せな瞬間。漆黒の闇に灯る光は、安心感も生む。皆が自然と円となって眺めているのです。この前後で皆と食事をしたのですが、用意してくださったものは、全て地元で採れたもの。乾杯の音頭をとられた方は声高に、ここには野菜も米も鹿も猪もあるぞ!という。また73歳のおじいさん(まだまだ現役!)とお話していると、石油がなくなる?森に行って薪を採ってくればいい。中国産が今は問題だ?それは田んぼで米をつくり、畑で野菜を育て、川に行って魚をとればいい。おかしなものを食べるから、おかしな病気になる。お金はあまり必要でなく、自然の恵みがここにはあるのだと。

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この日に針畑郷の方々と議論したことを書き出すと本になりそうなぐらい濃密なものがあったので省略しますが、この日の最後にこれだけはお伝えしたいと思う。小さくなりゆく炎の前で、ひとりのおじいさんが突然、大きな声で言う。今年も豊作でありますように、ばんざーい!!と。そして僕たちもつられて「ばんざーい!!」と3唱する。そして次に、おじいさんはこう言った。この恵みが琵琶湖まで届き、皆さまにも恵みを与えてくれますように、ばんざーい!!と。僕は思わず泣きそうになりながら、両手をあげて「ばんざーい!」と叫んだ。目に見えぬつながりを大切にする人々の意思を、どうか感じてもらい、川の流れとともに海まで届いて欲しいのです。ぜひぜひ、針畑郷へ。

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うっかり、すっかり

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ギャーッ!ワーッ!

ヨシコがAIGLEの手袋で指人形ならぬ、手袋人形で遊んでいる。確かにロゴが目に見えておもしろい。そのお芝居の内容は今日あった出来事。

A&Fというアウトドアのお店に、先日買ったByer(バイヤー)パラシュートトラベラーハンモックと木を結ぶ専用のロープを買いにいくと、お店のお兄さんが僕たちを覚えてくれていたようで、見るなり売っている専用のロープを勧めず、こうすればとてもいい感じで木とハンモックをつなげれますよ!と、メモ用紙にロープ、もしくはテープ・スリングとカラビナを使った吊り下げ方法を図説してくれました。おぉ、これは簡単でコンパクトと、終始、皆で大笑い。共通の趣味は、共通の喜びを得るのです。

するとヨシコが駐輪所のカードを紛失していることに気づく。ヨシコは急いで手袋を買ったAIGLEのお店に引き返し、店員さんに「駐車券、落ちていませんでしたかー!」と聞くと、「無料駐車券ですか?」と聞かれたようで、「自動車じゃなくて、私の家の近くの自転車の駐輪券なんです!」と言っている。

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地元の駅に戻り、駐輪所に行くと、いつもの優しいおじさんを見つけたヨシコ。急いで走って行ったかと思うと、大きな声で「うっかり、すっかり、落としてしまいましたー!」と叫んでいるのが遠くから聞こえてくる。あとで何で「うっかり、すっかり」って言ったの?と聞くと、それはね、「あっちもこっちも一生懸命探したけれど、どうにもこうにもさっぱり無いのです」という意味なんですと言う。おじさんは、いつも来てくれてありがとうと、ゲートを開けてくれる。毎日、会っている人たちをおじさんは覚えてくれているのです。

今日も、食事したときの店員さん、A&Fのお兄さん、駐輪所のおじさんと、多くの人の優しさに触れた1日。ヨシコは自転車に乗りながら言う。田舎に行けば、心温まるわけじゃない。都会にも同じく人が住んでいて、誰もが本当に温かなんだと。

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馬に乗って犬を散歩した翁を見たくて

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うわぁ!カゴメ、カゴメ~!

いやいや、ヨシコさん。ケチャップじゃないよ、カモメだよ。雪が舞う比良に降り立ち、琵琶湖畔に向かうと、頭上を数十羽のユリカモメが旋回している。そしてボクたちの目の前にずらりと羽を休め、「よく来たな兄弟」と歓迎してくれました。

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帽子の女の子が来たら連絡してねと言われています。ほっとすていしょん比良に着くとヨシコの帽子を見たおばさんが笑う。するとYさんが、わざわざお仕事を中断され軽自動車に乗って来てくださいました。skogのTさんからYさんのことを聞いていたのですが、顔を見て、あっ!前回、漬物をオススメしてくれた方だ!とすぐに気がつきました。Yさんの「四季折々の比良に来てね」という言葉がすぐに浮かんできて、今日は雪の中来ましたよと思う。

ほっとすていしょん比良は何から何まで手作り。この建物も自らペンキを塗って、サビを落として、でも天井はそのままにして、いつか何とかしようと早5年。Yさんのお話の向こうからパチパチとコロッケが揚がる音がする。かぼちゃ、じゃがいも、カレー、さつまいも、そしてローズマリー。どのコロッケも食べたいけれど、今日はローズマリーとじゃがいもを。もちろんソースなんていりません。そのままで十分おいしいのです。カリカリの衣の中から、ふわふわっとした優しいじゃがいもとともに、香豊かなローズマリー。タマネギ、大根のシャキシャキとしたサラダに、もっちもちの米粉ピザ。そして陶器でいただく珈琲が、心もカラダもあたためてくれます。あぁ、ここには比良のすべてが入っているのです。

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通称、迷いの森で小さな雪だるまをつくるヨシコ。何でもskogさんへのお土産にしたいという。手を赤くしながら、雪だるまに手をつけて大喜び。道中、菜の花を見つけて、綺麗だねぇと言いながらシャッターを押すのかと思えば、ひたすら「あぁ、おいしそう。あぁ、おいしそう」と言いながら撮影しているのです。大切なカメラを濡らさないようタオルを出すも、さっそくそのタオルを落として、雪でずぶ濡れに。ヨシコらしいなぁと、笑ってしまうのです。どこからかピアノの音が聞こえ、ところどころで木から雪が落ちる音がそれに合わせる。そして、ヨシコは大きな声でオリジナルソングなのかなぁ?「トトチテタンコブ♪短足~♪」とボクを見ながら歌っているのです。

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ヨシコの濡れたタオルが薪ストーブで乾いていく。久しぶりにお会いしたskogのご主人に、先ほどのユリカモメのお話をすると、滋賀の県鳥はカイツブリでねー、カイツブリの親分がもぐると、他のカイツブリも皆もぐっちゃって、まったく違うところから浮かび上がるんだよ。その間、こっちも息を止めちゃって、しんどくなっちゃった!と嬉しそう。

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この後も、マダムとお姫様の到着。昔は馬でお散歩、今は軽トラでシェパードと散歩の翁。そしてスープファニチャーさんへ。大好きなピザと大きくなったリサちゃん。無垢の家具に、雪道へ突っ込むマダムの車。抱腹絶倒、牡蠣焼芋、満腹破裂。この日だけでも多くの言葉を書けてしまうけれど、それは4月まで大切にしておこうと思う。だって「かんじる比良」はもうはじまっているのですから。

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メガネ・チーズケーキ

Valentain

ハッピーバレンタイ~ン。今年はメガネ・チーズケーキだよ~♪

バレンタインは毎年おもしろい。毎回、オリジナリティを求められていると思っているヨシコは、自分の顔より大きなチョコレートをつくって顔を書いたりして楽しませてくれるのです。今年は、メガネ・チーズケーキだという。昨日、帰宅し玄関を開けるなり、白きケーキの上に黒胡麻を少しずつ落としている真剣な表情のヨシコに遭遇。あんた、何してるのと聞くと、メガネを書いているという。

さぁ、いただきましょう。これはチーズケーキ?と聞くと、じゃーん!豆腐だよーんっという。

えっ!!

豆腐?

豆腐にレモンを混ぜると、チーズケーキになると、どこかで聞いたらしく、そのまま実行したらしい。でも、大丈夫。ちゃんとレシピどおりにつくったから、おいしいはず、さぁ、召し上がれ。でもその前にヨシコが味見してみるわ。

ん!!

これ豆腐!!!

そりゃそうだよ、ヨシコさん。豆腐で作ってるのだから、豆腐味に決まってるやん。ヨシコは、あれ?おかしいなぁ、木綿豆腐じゃなくて、絹ごし豆腐のほうがいいのかなぁ~、そば粉も入れちゃたしなぁ~、なんてブツブツ言っている。

ヨシコ、これはメガネ豆腐じゃないよね?

何言ってるの!

これはメガネ・チーズケーキよ!

ともかく愛情こめて作ってくれたので、さっそくいただいた。ヨシコはハチミツをかけて。ボクは醤油をかけて。

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未知踏進~稲葉香写真展

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南森町の近くにあるCHAKRAというCAFE&GALLELYで、元町で知り合った稲葉香さんの写真展、スライドショーの企画に伺った。それはそれは多くの人が訪れ、いかに稲葉さんが愛されているかという風景が広がるのです。そしてこのスライドショーの中で、この企画のハガキに選ばれた写真の大切な意味をかみ締めながら時は進んでいきます。

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そして隊長のお話。河口慧海師のお話に熱がこもっていつの間にやらマイクが指示棒に、メガネがマイクになっているという、とてもおもしろい方でした。ネパールについて、多くのことを考えるよい機会をいただいたと思います。また、その山々をめぐるにあたり多くの資金が必要になることを知ります。そこには以前ネパールでボクを助けてくれたシェルパたちの人件費も含まれていると思うと、心は複雑です。危険な旅で命を亡くす可能性も含まれているのですから。

ボクが尊敬する冒険家、植村直己はシェルパとのつながりも熱く、最終的には冒険をスポンサーの協力、犬ぞりの犬たちの命はあったにせよ自己完結型の旅へと変貌していきます。それは自己の欲求を自己で完結しようとする優しき彼の試みであったと思います。そして彼はただひとりマッキンリーに消えていくのです。

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今日はとても温かな日。稲葉さんも、隊長もとても熱い人。それはボクにとっても非常に刺激的なものでした。そして旅について本当に色々と考えました。ボクは20歳から毎年2ヶ月間海外を放浪するという生活を、エジプトから4年間続け、人生を変えたサハラ砂漠の体験を踏まえ、その後、日本にフィールドを移行した。最初は自分探しの旅であったが、今は自分はいつも自分の中にいることを感じている。そして未知なる故郷、日本という国の大きさをまだまだ実感している途中なのだ。

そして大切にしている言葉は、ボクが最も尊敬している民俗学者の父の言葉。先を急ぐことはない。あとからゆっくりついていけ、それでも人の見残したことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多いということ。まったりし隊の語源たる「まったり」とは、京都弁でまろやかでこくのある味わいが、口中にゆったりと広がっていくさまを言う。もうひとつはゆっくりしたさま。のんびりしたさま。くつろいださまを言う。あらゆる物事をゆっくりと噛み砕いて、カタチにしていきたいと思う。

そして稲葉さんは旅と旅行は違うという。おそらく旅行とは観光のことであろう。現代社会における観光とは消費的な側面、楽園を求める状況を併せ持ち、それに対する反抗ともとれるわけであろうが、そもそも観光とは中国の易経によると、一国の王たるものの仕事をいう。一国の王たるものは諸国をめぐって国の光、すなわち美しい自然、それがもたらした豊かな人々の生活を観て(観光)こなければならない。では、なぜ王はそれを見てこなければならないのか。それは自国に帰ったあと、他国の光を見ることで、豊になった王自身が、今度は自らの国の光を示すためであるという。稲葉さんの今日の企画もまさしく自らの国の光を示すものであり、ボクたちも今までの旅の中から、光輝くものを発信していこうと、新たな刺激をいただきました。

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雪だるまと焼き野菜

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誰がしたのだろう。昨日、あれほど大雪で曇天の中、2人してつくった雪だるまが、見事に壊されていた。今日は青天。昨日は誰もいなかった広場に、陽気に誘われた人々が、真っ白な雪に足跡をいっぱいつけていく。落ち込むヨシコの後ろで、これまた誰かがつくった雪だるまを踏みつける子ども。その父親も雪だるまに飛び乗って壊して、踏みつけ、蹴り上げ笑っている。

ヨシコはその子にバカーッ!と叫ぶ。私は誰かが大切にしたものを平気で壊すような子どもは育てないと、泣くような声でいう。違う子どもはバット片手に次々と雪だるまの頭部を殴っていく。何人も何人も物言わぬ雪だるまが砕けていく。大人は子どもがかわいいのか写真に撮って笑って、笑って。ボクには狂っているとしか思えない。

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誰かが壊すなら、ボクたちはもう一度同じ場所に大きな雪だるまをつくろう。今度は寂しくないように小さな雪だるまもつくる。昨日よりも小さいけれど、鼻高々な雪だるまがまた生まれ、お日様の下でキラキラと輝いた。たまたま草が雪に混じっていたのだが、それがちょうど口元にあって、笑っているように見えるのです。いつまでも、いつまでも。

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国立民俗学博物館で「歩き遍路」「ヒロシマ・ナガサキ」という映画を見終わり、急いで誰もいない広場に戻ると、オレンジ色の太陽を浴び、雪だるまは溶け、かすかにその名残を見るだけとなった。すっかり大地へと吸い込まれた雪だるまだけれど、彼らはまた水蒸気となって空に舞い上がり、僕たちの知らないところでまた雪となって舞い降りる。今度はどんな雪だるまとなって笑うのだろう。楽しみだな~。

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楽しみは自宅でも。家に帰るなり、さっそく野菜を焼くだけパーティ。階下の八百屋さんの野菜はとても新鮮でおいしいので、焼いて塩をかけるだけで夢のような味なのです。アウトドアの用具が今日も大活躍。シイタケが汗をかいたらハフハフといただき、カブは塩・胡椒、そしてオリーブオイルで。白ネギもとろとろ。茄子はしっかりと焼いて、醤油としょうが、鰹節をまぶして焼き茄子に。あご天も軽くあぶると、お酒を飲みたくなって仕方なくなる。そして針江から届いたぷりっぷりのご飯に、水切りした豆腐をさっぱりと味付けしたものをたっぷりのせて。

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今日も食後にヨシコさんがお茶を入れてくれます。八女茶の香りがなんともいえません。トランギアのアルコールバーナーが静かに燃えて、小さなケトルから湯気が立ちのぼる。この湯気を見ていると、また雪だるまを思い出した。こうやって水はずっと旅をしているんだなぁ、と。

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雪が舞い降りる日に

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今日は大雪だ。国立民族学博物館に沖縄の海人をとらえた「老人と海」という映画を見に行く。とにかく感動。久しぶりに泣いてしまいました。本当ならばもうひとつ映画をみて、その後、研究者の方々とデイスカッションがあったのですが、ヨシコにお願いして、雪の中で遊ぶことになる。

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お兄ちゃん。こんな山にも登れないの?とばかりに小さな男の子に挑発される。ともかく雪が固くなっていて、小さな小山がツルツルとすべるのである。その子が小さなお山を征服していたので、ボクは「登れません」と小さな男の子に申告し、登ってもいいですか?と尋ねる。すると、兄ちゃん、登ってもええでとばかり小さくとも偉大な雪の山を譲ってくれるのです。

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今度は東の広場でヨシコが雪を投げてくる。ともかくワーワー!と言いながら雪合戦。巨大な雪だるまをつくった後、広場を2人で駆け巡る。誰もいなくて本当にここは大阪なのかというほどの、ふわふわとした新雪を踏みしめながら、今日という日を満喫するのです。

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冷えたカラダをお風呂で温め、雪見酒。隣の酒屋さんとお話していると、飼い犬のコロちゃんが雪を見て興奮。今にも飛び出しそうなのだ。そして自宅から見える雪景色と人の往来を見つめながら、空から降ってくる大きな雪をいつまでも眺め、日本酒をゆっくりとかたむけるのです。

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今日は2月9日。肉の日。ボクは昔、焼肉屋で働いていて、そこに素敵な人がひょっこり舞い降りた。そして去年の2月9日。その素敵な人と結婚して1年が過ぎた。これからもよろしくお願いします。ヨシコ殿。

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びわ茶

朝、起きるとヨシコがいない。

あっ、そうだ。今日はボクの会社が代休で、ヨシコは出社というわけだ。日頃、家事をお任せしているので、こういう日にこそと起き出して掃除をはじめる。結婚の記念にヨシコの友人からいただいたネムの木をお日様にあて、時間とともにずらしていく。春になれば植え替えようと声をかけ、屋根の上にこの冬大活躍の「綿入り丹前」を風にあてる。コタツの布団をめくりあげると、そこには脱ぎっぱなしの寝巻きズボンの中にそのまま靴下がついている。

おそらく朝、寒くてコタツの中で着替えたのだろうか、下半身を置き忘れたようでおもしろい。コタツの布団たちを外に持ち出し、自分たちの布団もせっせと運ぶ。電線の上では、スズメではない鳥が、誰かを呼んでいる。そうこうしていると滋賀の針江からお米が届く。いつもなら、ドンッと玄関に置いておくところだが、おぼろげな記憶で、ヨシコが和室の所定の位置に置くよう言っていたことを思い出し、いそいで納品。さらに農家さんの手紙が自筆で温かく、大切にいただこうと思う。

押入れを見ると、物がほとんどないボクたちではあるが、このままでは使いにくいということで、せっせと整理。ものを極力持たない主義な2人ですが、写真を撮ることが好きだから、どうしても思い出のカケラが押入れにいっぱい詰まっているのです。さらに最近は、時計もTVもサヨウナラしたので、娯楽である本が大量に散乱。これは片付けねばと、新たに押入れに本を並べるスペースを確保。並べてみるとタイトルが非常におもしろい。どの本も旅や日本について、野山について、食について、民俗についてと、今、興味のあることがひしめき合っているのです。

ドタバタして疲れたところで温かなお茶でも飲みたくなった。普段、お茶に強い思い入れのあるヨシコに、おいしいお茶を毎回いれてもらっていたので、この寒々とした台所のどこに急須があるやら、茶葉があるやら、見つけてもこれは使っていいのか分からない。余計なことをすると大変なことになるので、ふーっと思っていると、あれ?水筒があるではないか。すると中から温かな湯気とともにおいしいお茶が出てくるではないか。

朝からいれてくれていたのでしょう。熱いお茶をふーふー言いながら飲み、その温かさをかみしめる。ふと冷蔵庫にマグネットでとめられた用紙を見ると、「びわ茶」と書いてある。その「びわ茶」は瀬戸内海に浮かぶ祝島のお茶で、このお茶は「原発のお金にたよらない町づくり」のひとつとして栽培されているのです。そういえば今年は4年に1度の祝島神舞。8月16日の入船神事、8月20日の出船神事の際の櫂伝馬の漕ぎ手を募集しているのがとても気になるのだ。

おっと!もうお昼。

今日はまったりしていられないぞ!

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蜜柑色の世界

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階下の八百屋さんで、麗紅(れいこう)という蜜柑をいただいた。値段は聞かないほうがいいよー!とおじさんが笑う。蜜柑好きのヨシコはもっと笑う。

これ!!すっごくおいしい。

蜜柑色の電球の下、蜜柑色の防寒服に、蜜柑を食べるヨシコ。世界は今、蜜柑色なのだ。その全てはつながっていて、この蜜柑は八百屋さんに。八百屋さんは農家の人に。農家の人は大地に。大地は蜜柑へとグルグルまわる。

蜜柑色の防寒服は、モンベルというアウトドアの会社に。そこには縫製工場があって一生懸命はたらく人がいて、そしてこれはダウンだから、羽をくれる鳥がいて、鳥は空に。空は雲を浮かべて、冬ならば雪を降らして、ボクたちは寒いものだからこの温かな防寒着を着て家路へと急ぐ鳥を見る。

蜜柑色の電球は、電気がないと光らなくて、この電力はどこから来るのかと考えれば関西電力で、そしてその電線は日本海に延びてその周辺にある原子力発電所につながっている。その原料となるウラニウム鉱石はオーストラリアからやってきて、その土地はコカサ族やアラバナ族にとっての聖地へとつながってる。

ボクはヨシコにこの蜜柑をジュースにしたらおいしいだろうなぁと言う。するとヨシコは果汁だけでなく皮まで愛さないと、真の蜜柑好きではないとあれこれ反論してくる。そうなのだ。ボクと同じように、人は甘い部分だけをすぐに見てしまう。ヨシコのようにすべての部分を愛し、考えていかないと、真の世界は見えてこない。今、ボクたちが何を求め、何を選らび生活しているかを。

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Vision(ネイティブジャパニーズのまっさらな物語を紡ぐために)

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目に見えない世界を知るネイティブジャパニーズを求めて。今の世界、日本のあり方を先住民の視点から捉えなおし、またその精神性、ヴィジョンを話し合うため元町へ。ゲストは北山耕平さんと、冨田貴史さん。その内容はゆっくりと心に落ちていっている状態だが、今回は同じヴィジョンを共有する人々と話し合う時間があって、それがとても良かったのです。

どうもはじめまして!で始まり、会場はゲストそっちのけでそれぞれの活動を話し合ったり、積極的に意見交換がはじまる。それはある女性が立ち上がり、せっかくこのような場に集まった人々が、それではサヨウナラとまた別々に別れていくことがないようにと始まったのですが、つながりの輪はますます大きくなるばかり。またボクたちのような30代の人が大半だったと思います。

Vision2

ヴィジョンとは、北山先生の言葉を借りると「人生の計画や経済設計」のことではない。それは自分を突き動かし、導く根源的な力の源のことである。そのヴィジョンを共有できたとき、それはとても大きな力となる。そしてその舵を取る次世代として、自然から多くを学び、日本という絨毯をめくって直接大地に触れ、さらにはプレアデスこと昴が輝く間は夢の話をしよう。そして電気を喜んで消す子どもたちの母であり父となるべく立ち上がる人々の和が、小さくともここ元町から生まれつつあります。

今日は節分。冬が終わります。冬は「ふゆる」といい、それは震えるということ。魂が震え、そして再び春が来る。それは右肩上がりの豊かさ、成長を夢見て一直線に進む世界の仕組みではなく、全てが大きな円を描いてまわり続ける世界の仕組みなのです。

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