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2008年6月

雨音と吹き抜け

突然ねぇ、娘が泣いているーって電話がかかってきてね、よく聞くと大雨の日に家の屋根が吹っ飛んで大変だと言うんです。ちょうどその家の前を通ったときに、ある建築士の方が車を運転しながら笑う。室内のリフォームをしただけで屋根はまったく触っていなかったそうだが、急いで駆けつけ修繕されたとか。原因は目の前に建ったマンション。そこからのビル風が屋根を吹き飛ばしたのだ。ボクには普通の町並みに見えるこの風景も、住む人にとってはそれぞれにドラマがあることだろう。

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家で栽培しているプチトマトをもぎとってパクリと口に放り込んだなら、ヨシコは雑誌イエヒトのお仕事に向かう。今日の現場は滋賀県は草津。編集者のFさんと、ライターのSさんと同行するも、さすがはFさん。雨男ぶり全開で、バケツをひっくり返したような雨。外観の写真は撮影できるのかと雨を恨みながら、素敵なお宅へお邪魔させていただきました。

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うわぁぁ。いいなぁ、吹き抜けで。2階の吹き抜けから階下を見下ろし手を振るライターのSさん。高校生のお子さんを持つSさんは、仕事場では子どものような好奇心で駆け回る。一方、お邪魔したお宅のお子さんは歯が生えていないのに、歯磨きが大好き。空から降る雨音は、大きな吹き抜けにパタパタと軽やかな音を立てているのだが、この雨の音が子どもには落ち着くようなんですと、住まわれているご夫妻が笑う。同じ雨でも嫌う人もいれば、喜ぶ人もいるのだ。

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雑誌の取材を終えた車の中で、ライターのSさんが自分の家族のご自慢。でも高校性にもなると、一緒に遊んでくれないでしょ?と聞くと、それがねぇ、まだまだ一緒に遊んでいるですよ!と嬉しそう。いいなぁと思いながら、最近はどんな遊びをしているんです?と聞くと、最近はモンハンだな。モンハン?何ですかそれは?あれー!?知らないの?モンスターハンターだよ。ハハッ!(どうやら親子でゲームをされているご様子。)

こんな取材に同行していると、あちこちに家があって、それぞれの家庭があっておもしろい。我が家もそのうちのひとつ。ヨシコに今日伺ったお宅の吹き抜けはすごかったねぇと言うと、我が家にも最高の吹き抜けがあるじゃないという。こんな平屋のどこにあるのだと思いゴロリと寝転がると、窓からどこまでも大きな空がくっきりと見えた。さえぎるものは何もなく、雨もあがった空は茜色を帯びていく。あぁ、そうか。これが我が家の吹き抜けか。

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炊き上がったお米の匂いに誘われ起きだし、文化鍋の蓋を開けるとキラキラとした白米。秋田杉の「曲げわっぱ」にご飯を移しながら、今の国産の杉は建材として安すぎるんですという編集者Fさんの声を思い出す。樹齢の差もあるが、「曲げわっぱ」になれば工芸品で、建材になれば買い叩かれる。でも安く家を建てたければ選択肢のひとつにもなるが、花粉症の人には杉が生えているだけで嫌になってしまう。同じ杉でも嫌う人もいれば、喜ぶ人もいる。

どうやら物や環境というものはその人の見方によって、ころころと姿を変えてしまうようです。だからこそ物の見方、感じ方を養うということは、とても大切なことなのかも知れません。

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素浪人ワルツ

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プチトマトはね、わき芽をブチッとちぎってブスッと地面にさせば100%活着するのよ。

比良のヤマカワさんにいただいたプチトマトのわき芽は、大阪の我が家で見事に生きている。朝起きてご飯3杯、バレーの朝練で汗を流して2時間目と3時間目の間にお弁当。お昼のパンを4個買って3個だけ食べ、残りの1個は夕刻のバレーの練習の前に食べる。廊下の真ん中を闊歩し、近くの男の子からもアンパンを強奪?し、日暮れまでボールを追ったその人は、そのまま大きくなって、何事にも精力的なのです。

Tomato2

美しい花に誘われるハチのように、心美しい人のまわりには人が寄ってくる。アンパンを差し出していた男の子もそのまま大きくなって、素敵な笑顔とともに落花生の栽培についての相談をしている。学生時代に別れた同級生が、時を経て再会したときに、アンタとは死ぬまで一緒やなぁと呼べる友は、どれほどいるだろうか。

Tomato3

くもの糸のように絡みつく比良の魅力は、僕たちの心にいつもある。街を歩いていても、仕事をしていても、ご飯を食べていても、ふと思い出してしまう風景。梅田の雑踏の中、エレベーターが上昇するとともに、人々が小さくなっていく。車の喧騒も追いやられ、靄のかかった太陽が、どこまでも続くビル群を照らし出す。

心潤すようなザッハトルテの音楽と、パントマイムのいいむろなおきさん、そしてパワフルな女優、安元美帆子さんによる舞台がはじまった。素浪人ワルツ(SLOW NIN WALTZ)と題された神業マイムと生演奏で贈るヨーロピアン時代劇。歌あり笑いありと、夢中になってしまうお芝居の中、鳥のさえずる擬音が響いた時、ヒバリ鳴く5月の晴れた比良に気持ちが飛んでしまった。

Tomato4

ヨシコよ、お芝居ってはじめて見たけれどおもしろかったね。あとから噛み砕けば噛み砕くほどそれぞれに意味があるんじゃないかって考えてしまうけど、どうだった?

えっ? 噛み砕く?

あーっ、噛み砕くね。わたし今、沢庵噛み砕いているとこ。

あぁ、おいしい!

ヨシコは焼きとり丼の付け合せをほお張りながら、ボリボリと気持ちいい音を梅田の地下に響かせ笑っている。

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ノタノホリにモリアオガエルの声が響くのだ。

Mori1

すごいなぁ。

湿気も多く、雨上がりの森の中だからか、静かに感嘆の声がもれる。ボクとヨシコの目の前に突然あらわれたのは、モリアオガエルの産卵場所だった。

Mori2

ちょっとヨチュオさん。あなた登山靴で畳の上を歩かないで。痛んでしまうでしょ?

今日の散歩先を想像し、押入れから登山靴を取り出し、その場で紐を結んでいたボクは怒られてしまう。確かに言うとおりだ。でもヨシコよ。畳の上で注意するアナタの足元にも、しっかりと長靴が履かれているんだよ。

Mori3

開口一番。今日、あなた方が来ると思っていたわとエツコさんは笑う。比良のギャラリーskogは2周年。そして今日は3年目に突入した記念すべき日なのです。ギャラリーに入ると前とはまったく違う表情で、今回も作家さんとオーナーさんの想いがぎゅぎゅっと詰まっている。

Mori4

差し入れにお渡しした黒船(QUOLOFUNE)の「どらやき」にも餡子がぎゅぎゅっと詰まっているはず。このお菓子のコンセプトは、黒船がもたらした夢のようなときめきを日本から世界へ伝えたくてというもの。このギャラリーから夢のようなときめきをいっぱいいただいている方も多いのではないでしょうか。そしてエツコさんが黒船。さぁ、横浜に着いたわよ!下田も開港させたわよ!さぁ、つぎはどこかしら?誰かしら?と幕末のペリーのごとく比良での邂逅を探られているのです。

Mori5

この橋の向こうには何があるのか。

桜のコバから堂満岳方面へと左折すると、小さな橋に出くわした。そこにはクモの巣がはられ、巣の主がここからは野生への境界線ですよとばかり、お尻から雨露に輝く意図をみせる。その橋の向こう、いよいよ山への入り口というところで、ガサガサッという音とともに、1頭のシカが森の斥候のごとくその奥へと消えていく。

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ヨチュオさん。ちょっとした散歩って言ってたよね?ハイ、そうですよ。これは散歩じゃなくて登山と言うの!と、梅雨時期の湿度の高い山道を流れる美しい小川に手ぬぐいを湿らせて吹き出る汗をぬぐうヨシコ。森は高度をあげるにつれ、ピリピリとした空気に変わっていく。神か物の怪がいるのではないかと思うような霧が、木々の梢にまとわりついてその場を離れようとしない。ヨシコに、今日はその靴だし撤退するかい?と聞くと無言で登っていく。あとから聞くと、こんなところで帰ってたまりますかっ!と最後まで行く決心をしたようだ。そして平坦な道になったなぁと感じたところ、それは突然やって来た。

Mori6

ノタノホリにはモリアオガエルの卵がいくつもいくつもぶらさがり、孵化を今か今かと待っている。これが見たくて登ってきたのだ。ボクたちが動くと静まり返る森。しかし一度じっとしていると、オスがメスを呼び止める声があちらこちらから聞こえてくる。まだまだ産卵期なのだろう。

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モリアオガエルは孵化するとオタマジャクシの状態でその卵塊から下の湖面へと飛び込んでいく。次から次へと飛び込む子どもたち。その下で自らを食そうとイモリたちが待ち受けているのにも関わらず、またひとり、またひとりと空を飛ぶ。

水面を見ていると幾重にも重なる波紋が広がっていく。それは葉から零れ落ちる雨水であり、オタマジャクシの着水であり、イモリたちの生きるに必要なひと呼吸。この小さな水辺を舞台に回り続ける生命の営み。

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ヨシコは小さな声で「人間は愚かだ」と言う。今、この場所にいる者だけが分かる言葉。比良の水田では逃げ惑うカエルも、ここではにらみ返してくる。トノサマガエルが、我が城にて何か答えをお探しかのごとく、濡れたコケの上に堂々と鎮座しては、過信した小さな人間に無言の問いかけをいつまでも送るのです。

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肌を刺すようなピリピリとした緊張感のある空気は、山をおりるとともに和らいでいく。それは自然への畏怖なのだろう。家々の屋根が見えてき、人里に舞い戻るとお腹が減ったことに気がつく。人の中に眠る森の中の記憶が、再び閉じられたからだろうか。それならば北小松のファミリーれすとらん「ひろせ 寿し正」さんが気になるので向かいましょう。

すると電車が比良、近江舞子間で急停車。そして「本日、車両不良により近江舞子、近江塩津間、ただいま運休しております」とのアナウンス。これでは北小松まで行けないと気づいたヨシコは・・・。

Mori9

せっかくアオモリガエルのところまで、辛くとも歩いたのにこんな仕打ち。あぁ、神さまとばかりに号泣。

ヨシコよ、モリアオガエルだよ。

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カワウの恋

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私、ここに泊まれただけで幸せよ。

ここマキノ高原キャンプ場からは、赤坂山や明王の禿、三国山への登山ができる。早朝からの山行を楽しみにしていたボクは、そのヨシコの言葉を聞いた瞬間理解した。

こっ、これは「わたし散歩に行かない宣言」ではないか。

このままではリスやシカがいるかも知れない山道への夢が絶たれてしまう。しかも温かな玉ねぎスープをすすりながら、ほっこり和んでいる風情をみると、わたしテコでもお尻を地面から上げません大作戦ではないか。

ヨチュオさん、何か雨が降りそうだねぇ。お腹もへったし、食料もなくなったし、もう帰ろうか~。帰ったらインディ・ジョーンズの先行レイト・ショーに行くし、もっと早く帰ったら録画してある「相棒」も見れるし~、パン屋さんでパンも買うし、八百屋さんで野菜も買うし~、などなど、要するにもう登山に未練はないご様子で、また来ればいいじゃないという始末。

はいはい、分かりました。テントを撤収しましょ。

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わーい!もうイタセコイア並木まで帰ってきたー!いやいや、だからメタセコイア並木だよ。一度間違って覚えると、とことん間違うことってあるものです。田んぼの中を快走するのだが、ひとり違う道。戻って来いというのに、中々気づかない。思い込んだら一直線なのでしょう。

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知内川には釣り人や、親子で川遊び。トンビが上空を飛び、くわえタバコに草刈機で作業するおじさん達に見送られながら、マキノの駅まで自転車旅行。着くとちょうど大阪方面の電車が到着して、そのまま帰路に着く。

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近所の池で、カワウがカルガモに恋のアピールを繰り返している。カルガモは知らぬ存ぜぬの一点張り。今日は、カワウの気持ちがよく分かる。赤坂山にはまた日をあらためて登ろう。

あら、もう11時半だわ。そろそろパン屋さんに焼きたてのパンが並ぶころよ。急げーっ!

我が隊の週末旅行、これにて了。

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永原からマキノ高原 自転車ふたり旅

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念願の丸小船にご対面。ここは湖北は永原にある北淡海・丸子船の館。江戸時代中頃には1400艘をこえる丸子船が薪や米、人を運ぶ目的で琵琶湖上を行き来していたと聞くと、うっとりしてしまう。防水の役目をはたすため、船の板と板のあわせ目には槙縄というマキの木の皮を蒸してほぐしたものがつめられ、船釘はまっすぐ打たれるのでなはく、木と木を垂直にうまく接合されるように工夫されている。ここ大浦から大津まで風任せで2日間。エンジンがつくようになって6時間ほどで輸送できたと、館の方に説明を受ける。

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大津と聞くと、滋賀には草津、海津、今津、塩津など、「津」がつく地名がちらほら。そもそも「津」には海や川における「船の泊まるところ」「船着場」「港」という意味があり、塩津と聞くと、日本海から塩を都まで送る港だったのだろうと想像してしまう。針畑郷で聞いた話では薪をイカダにのせて琵琶湖まで送る。そこから大津にむけて船で輸送したそうです。また大好きな比良の人の話では、かの地では大きな石が豊富に取れたので、それもまた船で大津に輸送したとか。つまり大津とは、物資、人ともに大きな港だったのでしょう。

それにしても丸子船に乗っていた人を再現した人形が、リアルすぎて恐ろしい。興味深く船を見ていると突然現れるのだが、心臓に悪いのでご注意を。また大音量でミスチルが流れる館内。秩序のない現代にドロップキック。丸小船の声のようで最高です!

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我が家の「大津」はヨシコの胃袋。おいしいものがどんどん消えていく不思議な港。よく旅に出る我が隊であるが、ご飯が続く限りご機嫌♪というオリジナルソングを歌う彼女の燃費はすこぶる悪い。とにかくリュックに食料をつめこんで自転車をこぐ。

まずは永原駅から海津大崎へ。奥琵琶湖には多くの浜があって、水を密接な生活を営んでいること感じる。それにしてもずっと向かい風なので速度が上がらない。ヨシコはフラフラである。嫌な予感がするので近づくと、お腹が減ったという。マキノ町のほうをみると、事前に調べておいたお店の屋根が小さく見える。ヨシコよ、あの緑の屋根の下に食べ物が待っているぞよっ!と言うと、ランチー!!!と絶叫しながらペースが上がるのだ。

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東北のほうで地震があったんですよ。吉田酒造「竹生嶋」のおばあさんに言われながら、お酒を買い求める。この酒蔵は四代目。そして今宵の晩酌に選んだのは「純米吟醸 吟花(ぎんか)」。マキノのお米でつくったと聞き、嬉々としてリュックにつめる。地元の食材とともに味わいたいなぁ。またマキノの町には「土曜日ポイント2倍」の張り紙があちらこちらで見受けられる。何のポイントなのか。非常に気になるのだ。

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トンビが何度も何度も川に足を差し出し、魚を求めている。それを見たヨシコは反省しだした。トンビさんは何回も何回もアタックして食べ物を得ようとしているのに、わたしなんてさっきバイキングで何回も何回もお代わりして。ううううぅ。

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さぁ、お腹いっぱいヨシコは快走する。えいや、えいやと自転車を漕いで知内川を越え、マキノ高原方面へ。知内は嘉田由紀子(滋賀県知事)さんがフィールドワークされた地。その地を見たくてこの自転車旅を企画したつもりだが、ヨシコは関係なしにお楽しみ。

途中、マキノピックランドというマキノ町農業公園へ立ち寄ると、てっきりデザート代わりにフルーツを買い求めるのだろうと思っていたのだが、何故か干ししいたけを買っていた。レジのおばさんと、キノコ談議をはじめるヨシコ。ほんと、食べ物が好きだよねぇ。マキノ茶と黒胡麻のアイスクリームを食べながら、いやぁ、平湯温泉の牛丼は本当においしかったなぁと、何年も前の食事を回想しているのだから、相当な御仁である。

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イタセコイア並木だぁー!いやいや、ヨシコよ、メタセコイア並木だよ。のどかな田園地帯をまっすぐにのびる車道。水田にいるサギを見て、ヨシコはサギが好きだと言う。何故かね、ヨシコよ。だって首ながいでしょ。わたしどうも首が長い人が気になるみたい。

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マキノ高原では多くの親子連れが遊んでいる。父の威厳をこめた速球が、小学生の息子の一振りによって空へと消えていく。それを拾いに走る父。川では魚影を求めて水に入り、虫取り網を持った子らと野山をかけめぐる。何かいいなぁ。林の間からお肉が焼ける香ばしい匂いがたちこめ、薪のはぜる音がそれに重なっていく。あぁ、ヨチュオさん。いい匂いだなぁ。これはソーセージを焼いている匂いだね。ヨシコよ。違う家族の食事だから、あまり妄想しないでおくれ。さぁ、ボクたちも食事にしましょう。

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おいしい!米粉のシフォンケーキを食べながら、川の側でのんびりする。それにしても山から吹き降ろされる風のすごいこと。テントがバタバタと風にあおられ、飛んでいきそうだ。そんな強風の中、川をはさんで夫婦が会話している。えっ?あんなに離れているのに声が聞こえているの?すごいなぁとヨシコに言うと、そりゃそうよ、いつも聞いている声だからよと、モグモグしながら言うのです。

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1953年。マキノは知内川の堤防が決壊し村に襲いかかったとき、わしニジマスつかまえたーっ!と手づかみで喜ぶ村人の姿があったそうです(生活世界の環境学より)。どんな状況でも楽しみを見出すことはできるもので、その村はそのまま洪水を受け入れ、その後、皆で復興させたそうです。

川の水温でいい感じに冷えてきた日本酒と、コアユなど湖魚の佃煮をあてに晩酌。星空を期待していたのだが、あいにくの曇り空。テントの下、小さなキャンドルが今宵の一番星になり、今日も川はいろいろな恵みを私たちに与えてくれるのです。

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雄花と雌花

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あれ?

ゴーヤの花は咲けど咲けど、次の日には必ず散っていく。これはどういうことだと調べてみると、どうやらゴーヤの花には雄花と雌花があって、雄花は一日で落花するらしい。

オスよ、もっと気張らんかい。

そもそもゴーヤを栽培しようと思ったきっかけは、夏の西日対策。自然の日よけにもなり、実もなることから一石二鳥ではないかと思っていたのだが、最近気づいたことがある。

ヨシコよ、西日を考えて栽培すると、わしらの家のトビラが開かぬではないか。

そうなのだ。我が家の西は、庇(ひさし)がほぼゼロに近い玄関のトビラのみ。目の前で栽培すると、トビラは開かないし、洗濯物も干せないという二重苦。

あれ?一石二鳥はどこへいった?

Goya2

天気予報が雨だと聞いて家で待機していても、まったく雨が降らず。はぁ、どこか山でも行けたのではないか。どこか川でも行けたのではないか。悶々とするのでプシュッ!とビール。夕焼けの中、子どもの遊ぶ声が聞こえる。ベットでゴロリと横になりながら、いつまでも降りそうにない雲を眺めるのです。

朝採れのキタアカリ、巨大ズッキーニを、我が家のローズマリーと炒め、玉ねぎスライスにこれまた我が家の大葉をブチッとちぎって、パラパラ。ヨシコがつくる料理の食材は誰がつくったものか分かる身近なものばかり。毎日、ありがたいなぁ。ビールで楽しくなってくる頭で考える。

オスよ、もっと気張らんかい。

よしよし。気張るためにも、もう一本。プシュッ!

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里山ジャンボリー2008 今森光彦×河合雅雄

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河合雅雄先生は大正生まれのモンキー博士。よろよろっと会場にあらわれ、ぴょこりっ!とお辞儀されたあとの、言葉の力強さ、論旨の明快さに腰抜けました。難しいことを素人でもわかりやすく説明される話術と経験の豊富さ。会場を笑わせるユニークな発言。そう、今日は里山について写真家の今森光彦さんと河合先生の対談に参加したのです。

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安曇川の会場に行くまでに腹ごしらえで比良に下車。ヨチュオさん。わたし、ほっとすていしょん比良の横に家を建てるわ。

はっ?ひょっとして毎日コロッケを食べるつもりかね。

違うわよ。だってほっとすていしょん比良は週3日しか開いてないでしょ!残り4日は違うものを食べるのよ。

いやいや、そういう問題じゃなくって。

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相変わらずゲコゲコ、ピヨピヨと動植物が大合唱。春にはツクシでいっぱいだったあぜ道もスギナの群生地へと変わり、ヘビがニョロニョロ。今日は蓬莱山の方向にまっすぐ横一文字の虹がかかり、同じ空は二度とないということを教えてくれる。コロッケ定食をいただいて、ヤマカワさんや、スタッフの皆様にご挨拶していると、古老のモリさんにバッタリ!!以前、大阪まで訪ねてきてくださったお礼ができた御縁に感謝。息子さんのことを嬉しそうにお話くださり、ますます楽しくなってくる。モリさんとお別れしたあと、ヨシコはクククっと笑う。

どうしたんだい?

だってほっとすていしょん比良のお惣菜、モリさんがたくさん買っていたでしょ?地元の方に大人気だねぇと笑うのです。

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いざ安曇川へと、12時50分発の電車に乗る。12時51分着信。ちょっとアナタたち、比良にいるのね~。ギャラリーskogのマダムからである。どうもマダムは「まったりし探知機」をお持ちのようで、毎回、するどく感知されてしまうのだ。

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横たわる虹を見ながら安曇川につくと、比良のあとに来たからか、大都会に感じます。さて対談において今森さんは、この夏に伊勢神宮の写真集を出されるそうですが、その過程の中でシカの写真を使わないよう神宮から依頼されたとか。どうもシカは害獣でいいイメージがしないというのが大まかな理由だそうだが、今森さん激怒。

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そもそもシカは神鹿(しんろく)として奈良の春日神社では神の使いなわけですが、経済的レベルだけで考える怖さを感じたとか(ちなみに伊勢神宮の神の使いは鶏でしたっけ?)。また河合先生によると、弥生時代の土器にたくさんシカの模様が出てくるとか。それはシカの角は秋になるとポロリととれて、春にニョキッと生えてくる。それが農耕のサイクルに似て、非常に信仰されたそうです。

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それが昭和30年代、里山にある広葉樹などを切りまくって、そこに建材となるスギやヒノキを植樹したわけだが、育つまでは背丈もひくく太陽があたり、様々な草木も育ち、シカの格好の繁殖地となり増えていく。木が育つと下草も枯れ、暗い森となり、エサがなくなったシカやサルが人里におりてくることで、害獣と言われるようになってしまったのでしょう。

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河合先生が言うに、昔はよく食べた柿も、今ではそのままにしているところへ、今度はサルが食べる。こんなうまいもんあるかいな、死んでも食ったるわと意気込んだサルに、柿は食べていいけれど、スイカはダメだということは通用しませんねん。クマでもそうですわ。昔は奥山にしか住まなかったクマも、新人類ならぬ新クマ類がおって、人里で一度おいしいものを食べてしまうと、山のもんなんかアホらしくて食ってられるかってことになる。そんなクマたちの次世代もそう。動物は学ぶということはあっても教えるということはない。親のやっていることを見て様々なことを覚えるのです。

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そのほかゲラダヒヒの興味深い話、コウノトリの繁殖を可能にした里山における住人と役人のコミュニケーションの大切さの話、宮沢賢治の本には158種の動物が出てくるが奥山(神域)に住むカモシカは出てこない話、それはそれは膨大な経験談で時は過ぎ行きます。

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最後に何のために里山を復活させるかという今森さんの問いに対し、ひとつは生産資源としての役割(薪や建材など)、ひとつは環境資源としての役割(保水、水質浄化、二酸化炭素の吸収など)と言う。ただ最近の日本の政策に欠けていることがあって、それは文化資源としての役割が必要であるということ。日本人の多くは川遊びと言うと、釣りや舟遊びをはじめ、多くのことをイメージできるだろう。だが、森遊びというとどうだろうか。植物のかたまりとしてのイメージだけでなく、多種多様な昆虫や鳥、哺乳類をも含んだ生きた森を感じるためにも、森を歩くということが大切なのです。

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また留学先のイギリスでは、科学者であっても、天文学者であっても、誰でも生物学については詳しかったとか。雲の名前、花の名前、木々の名前。それは全て母から教えてもらうのです。普段の生活の中に自然の理を織り込んでいくことで、自然と子どもは親しんでいく。そのためにも我が隊はもっと歩き、学び、感じるのだ。

ヨシコ母ちゃん、おもしろい対談だねぇ。こっそり小声で聞くと、ヨチュオさん、これ見てという。

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ちょっとアンタ、似顔絵書いている場合じゃないよ。

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