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2008年7月

1400万人の飲み水のために針江で藻刈りをするのだ

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モンドリを引き上げると、中には大きな魚と、ザリガニが入っている。それを無造作に岸辺に係留している田船の近くに放り投げ、藻刈りボランティアを乗せた船は河口にむかう。藻を刈ることで、水の流れがよくなり、ゴミもたまらず、魚が湖から上がって来やすくなる。胸まで水につかりながら、鎌を振るう学生たち。今日だけで数十トンの藻が刈られるのである。

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ボクたちは第2便で到着したため、鎌が足りず、針江集落近くの藻を手作業で刈ることに。湧き水の水温は15度ほどで、冷たくて足の感覚が麻痺してくる。おじさんが、子どもの頃はこの池でよく泳いだが、冷たすぎて10分も入られなかったわと笑う池で、1時間ほど藻を刈る。妥協を許さない性格のヨシコが通り過ぎた場所には、何ひとつ残らない。文字通り根こそぎ藻が陸へと放り投げられ、岩の間を魚たちが逃げ惑うのだ。

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刈っていると、ゴロゴロと雷鳴。かの「高島しぐれ」が来るのだろうと思って、地元のおじいさんとお話していると、いやぁ、この雲は流れるだろう。でも落ちて欲しいなぁと2週間も降らない雨を請う。するとどんどんと暗くなり、雷光一閃、バケツをひっくりかえしたような雨が地面をたたきつけた。

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ヨシコが揚げる鮎は衣たっぷりで、彼女自身が困惑している。ボランティア活動終了後、針江の方々からおにぎりと、流しそうめん、鮎とヨモギの天ぷら、きゅうりの漬物が振舞われた。もちろん土砂降りの中だから、これぞまさしく流しそうめん。全員、ずぶ濡れで大笑い。でも雷が近くに落ちた瞬間、我先にと公民館に逃げ込んだ。それでも皆の顔はゲラゲラと晴れやかなのだ。

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生水の郷の代表が、この藻刈りをふくめ針江の小さな活動は、関西に住む1400万人の飲み水のため、そして琵琶湖を美しく、この地を原風景に戻すための一歩であると締めくくる。源流の針畑郷では、琵琶湖の恵みがどこまでも続くよう祈りをこめたどんどが冬の夜を焦がし、その下流である針江では、このような地道な活動がなされている。その水は琵琶湖にそそがれ、淀川をくだる。そして大阪にあるボクの家の蛇口から、様々な人の想いが込められた水がほとばしり、それはやがて大阪湾へ、そして大きな海へと帰り行く。

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さぁ、我らも帰りましょう。それにしても当たり前のように蛇口から出てくる水が、上流に住む多くの人の想いとともにあることを実感するたびに、大切に使おうと思える。当たり前のように使っている水を失って、はじめてそのありがたみに気づく前に、この水がどこから来たのか、それを体感すると、誰でも意識が変わることだろう。

ヨシコは言う。チャゲ&飛鳥を聴いていると、子どもながらにチャゲっているの?と思ったことがあるわけ。でも飛鳥涼だけになったとき、失ってはじめてチャゲのありがたみに気づいたわけ!あのハモリが必要なのよっ!

うん、うん。

この問題も、それに近いものがあると思う。

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白ひげ浜にスペイン人が攻めてきた

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大阪から滋賀に入る。列車のトビラが開くたびにセミの声や、トンビの雄姿、ほどよい暑さが車内を満たし心地よい。山をなでる雲の陰影は、山の起伏を映し出しながら、その下を行く旅人の束の間の憩いになる。ボクはその風景が大好きだ。夏の入道雲の下、昼食にと訪れた比良の稲はすくすくと育っていた。

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何ちゅう作業工程や!現場監督にむかって比良の防風工事の作業員が毒づく。そうや、わしは鬼や、熱中症にでもなればいい!そう言いながらもこの現場は仲良くやっている雰囲気が伝わってくる。それにしても熱中症には点滴は効くなぁ、本当に元気になるで。アホ、一番ええのはスーパードライと、芋焼酎に限る。え?スーパー焼酎?アンタ、熱中症か?話がめちゃくちゃやで。よし、今度、皆で点滴してスーパードライのんで、芋焼酎飲んで作業をしよう。アカン、電車来たで。ほら、左手出して合図や。そんな比良は今日ものんびりだ。

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近江高島から自転車を借りて散歩する。乙女ヶ池ではサギが水面を見つめ、蝶が舞い、トンボが滑空する。ヨシコは自転車を降りて、カメラをむける。セミの鳴く声だけがこの空間を支配して、暑さをより深いものにしてくれる。

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白ひげ浜を今年の淡水浴に選んだ理由は簡単だ。いつも乗車する湖西線がちょうどトンネルで、このあたりを秘密の隠れ家のごとく隠しているから興味がわいたのだ。琵琶湖に入ると水温が暖かい部分と、冷たい部分が複雑に交差し、それは水と油の関係のごとく交じり合うことはない。湖面を水鳥が群れをなして南下し、水面下ではモロコがウロコをキラキラとさせる。おいしそう。バシャ!バシャ!と音がするので振り向くと、ヨシコが溺れている。大丈夫かと聞くと、泳いでいたという。

琵琶湖は潮風ではないので、カラダがベタベタせずに気持ちよいが、ヨシコの息継ぎの顔が恐ろしい。今日買ったばかりの水着を着たヨシコだが、プールですぐに唇が紫色になるタイプだから小1時間ほどであがってしまう。木陰でかたむけるビールの味は格別で、ヨシコが昼寝のかたわら再び琵琶湖へ。もぐっていると様々な湖魚に遇い、ナマズのようなものもいたのだが、息が切れると簡単にカラダが湖底から湖面へと引き剥がされてしまう。昼寝も終わったヨシコの元に帰ると、アンタぐらいだよ、クロールで泳ぎまわっている人、と言われてしまう。

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泳ぎまくったので今度はこぎまくって鵜川ファームへ。針畑郷在住のKさんが毎週木曜日パンを販売されている場所でもあるので、興味があったのだ。こんな遠くまで来られているんだなぁと自転車をこぎながら、針畑郷に思いをはせる。そういえば今度、草刈りがあるみたいだなぁと考えながらファームに着くとレジのおばさん方が白いイヌに夢中。稲が風のカタチをつくる中、ぷりっぷり!のプチトマトと湖魚の佃煮を買う。晩酌対策はバッチリだ。

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晩御飯は「ほっとすていしょん比良」のお惣菜をメインにいただく。何故かとなりにはスペイン語を話す集団が。我らは自転車だが、彼らは自動車。自動車からは大音量でスパニッシュな音楽がこぼれだす。ここはスペインだろうかと、酔ったアタマが想像する。すると琵琶湖が地中海に見えてきた。向こうにともる灯火は、昔旅した対岸のアフリカ大陸、タンジェの港。ヨシコよ、ここはアンダルシアだよ。そう言いたくなるも、彼女はシャワーを浴びにテントを離れていた。するとスペイン人?が、HANABI!と叫びだす。見ると近江舞子の方角に、美しい日本の花火が舞い上がる。あぁ、やっぱり日本だよ。日本が最高だよ。地中海はみるみると琵琶湖に姿を変え、伊吹山に反射する花火の光が、南からの炸裂音とともに艶やかに夜を締めくくる。月が雲の隙間から顔をのぞかせ、ボクたちは眠りについた。

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寝癖たっぷりヨシコの前に、朝日がのぼる。テントが蒸し風呂状態になる前に撤収。自転車にまたがり、新旭町の方へとこぎだした。

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わたしはどこに向かっているのでしょう

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ところでヨチュオさん。わたしはどこに向かっているのでしょう。

昨日、とっても暑かったからいつもの美容院でカットしてもらったわけだけれども、それが神戸だからちょっとお洒落して、クツもかわいいものを履いてきたわけ。そしてね、今年の目標である「自分で自分の服をつくる」ということを達成すべく、好きな服作りの本を、これまたお気に入りの皮のカバンに入れて、涼しい帰りの電車にゆられながら学び、そしてお家に戻る前に、布を買って帰ろうと思っていたわけだけれども・・・。

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突然アナタから「靴下履いているか?」というメールが来たかと思えば、三宮まで迎えに来てくれたアナタのリュックにはわたしの山用のクツが入っていて、新神戸駅の裏側から何故か山に連れられ、こうして布引の滝の前にいるのだけれども、わたしは布を買いたかったわけで、布を引きたかったわけではないのです。

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そんなヨシコをつれてさらに奥へ。布引貯水池でトレイルランニングをしている集団とすれ違いながら、木々の間を登っていく。14時といえばもっとも暑いだろうが、森の中を風が吹き抜けると、本当に気持ちがよい。新神戸のすぐ裏側に、こんな散歩道があるとはしらず、市ヶ原を目指す。途中、渓流で遊ぶ家族連れをみながら、桜茶屋でビールをかたむける。これ、最高なり。登山中、摩耶山から下りてきたであろうおじさんが、汗だくの笑顔で、上はいい風があるからねっ!と教えてくれる。

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稲妻坂には向かわず、標高400mほどの世継山まで戻り、布引ハーブ園へ。ボクの背中は汗で濡れ、建物の中の冷房が凍みる。青い空をツバメが楽しそうに舞い、ヨシコは短くなった髪を整えながら、眼下の町並みを見下ろした。

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ギャーッ!

この日一番の汗が飛び散った。冷や汗満開のヨシコは高所恐怖症なのである。風にゆらゆらとゆれるロープウェイのゴンドラの上からは、四角い建物がどこまでも続くのが見える。どうもこういう景色は苦手だなぁ。

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小さくとも楽しい我が家に戻るころ、空は放射線状に伸び始める。綺麗だ。そういえば「この星は未来の子どもたちから借りているものだ」とサン=テグジュペリは言った。

ところで皆さん。皆さんはどこに向かっているのでしょう。

ボクには次の子どもたちに見せたい世界がある。それを日々考えることはとても大切なことなのだ。

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崖っぷちのヨシコ

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もう暑すぎてダメです。

我が家に風が吹かない日は、蒸し風呂のような気温になる。ヨシコは伸びきった髪の毛が原因で、さらに汗をかいている。ヨチュオさん。夏はもうどこにも行かないでおこう。こんな暑い中、まったりしてられないよ。

まさに崖っぷちのヨシコ。

本当ならば琵琶湖で泳ぐつもりだったのだが、結局畳の上を泳ぐことに。扇風機はクルクルと回っているだけで、熱波を浴びせてくる。汗が潮のように満ちてきて、クチの中がカラカラに乾いていく。

崖っぷちの我が隊。

ヨシコよ、日干しになる前に崖の上に逃げようではないか。そうだね、ヨチュオさん。むくりと起きだし、ふたりして自転車をこいで近くの映画館へ。

すっ、涼しい。

崖の上のポニョを見ながら、思わず生き返る。目の前が海でいっぱいになると、そのまま夏の暑さを忘れるように吸い込まれてしまった。

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魅せられて食す

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京都の町を歩いていると、大路や小路が南北を走り、ボクが育った奈良の三条通りしかり、様々な通りが東西にのびる。それが大阪になると南北に筋が走り(御堂筋など)、東西に通りがのびるのだ。また京都では「上がる」、「下る」と南北が分かっておもしろい。

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そんな京都には昔ながらの店がいっぱいある。そもそも店とは「見せ」であるという学者がいる。なるほど、何もかも「見せ」られることでどのように作られているかを知り、安心し買い求めることもできるし、その技や心意気に「魅せ」られて財布の紐もゆるくなることだろう。そこには確かな信頼関係があり、また自らその価値に対し対価を支払うことに何ら異存も感じられないだろう。

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今日はヨシコがプラムのジュースを飲んでいる。砂糖とプラムをくつくつと煮て、それをソーダで割ってレモンを搾る。自分で作るからこそ安心してカラダに溶け込んでいく。そもそも食とはそうあるべきであろう。安心をお金で買う人もいるだろうが、そうしなくても簡単に手に入れることができる。それは自ら育み、それを食すことだ。そこには絶対的な安心感がある。すでに都市部に住むものと、農村に住むものの交流は様々なカタチで始まっている。この国には休耕田が数多くあり、それをどのように利用するかが、ボクたちの子らが住む世界に大きく関わることだろう。自ら育んだトマトをかじりながら、ふと考えてしまうのです。

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