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2008年9月

若草山

inekari

ヨシコが、ぶどうの皮を剥いている。するとぶどうが笑ってこっちを向いている。それを食べたヨシコが笑ってこっちを向いている。

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さて、お腹も満たされたところで、目の前の若草山を登ることにした。若草山は、やっぱり裏から登るに限る。春日山原始林から若草山山頂に出るコースなのだが、ゆるやかな登りで、非常に楽なのだ。

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さて原始林に一歩入り、月日亭を過ぎたころになると、自動車はそこから上がれず、のんびり道になる。多種多様な植生があって、幹の太さが何メートルもあるような巨木のブナやスギがゴロゴロ。中には落雷でやられてしまった箇所もあるが、陽の入るあたりから、ヒョロヒョロと次の芽生えが出てきている。またよく見ると意外と岩肌も多く、昔、若草山は火山だったと聞いたことがあるが、関係あるのだろうか。

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それにしても同じ道を季節を変えて歩くのはよい。以前は、紅葉真っ盛りの原始林を歩いたが、今日はまだまだ青い。前回はこの道一面に紅葉が絨毯のようにひかれていたねぇ、と言いながら山頂を目指す。そして山頂からは、奈良の町並みがどこまでも見え、山々の連なりと、その先の青が美しい。

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お母さーん。その先に鹿はいないー?

下山はじめにすれ違った小さな女の子が、先行く両親に聞いている。頂上まで登るにあたって、どうやら鹿が怖いようで、ビクビクしているのだ。そんな女の子にむかって両親は、「いないよー!」と優しく声をかけ、登ってくるよう微笑みかける。女の子は「いない、いない!」と呪文のように声を出しながら登っていく。でもね。山頂には鹿がいっぱいいるのです。

そんな怯えながらも登りつづける女の子もいれば、ボクのすぐ横から「どすこーい!どすこーい!」という気合の雄たけびが聞こえる。四股を踏んだり、張り手をしたりしながら、登る女の子もいる。誰もいないからいいけれど、普通に登れないのかねヨシコさん。

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そっ、それにしてもヨチュオさん。若草山の一合目って急だね。だから裏から登るんです。楽だったでしょ?そんな横を小さな男の子が家族とともに登っていく。

お父さーん!そこはもう平ら~?

がんばれ日本男児よ。まだまだ先は長いぞよ。そう思いながら若草山をあとにした。

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さて下山後、たくましい足に惚れ惚れする。東大寺の南大門に木造金剛力士立像なのだが、裸足で大地をしっかり捉えているからこそ、あんな大きなカラダでも微動だにしないのだろう。南大門あたりには、海外からの観光客も増え、消火栓の収納ボックスをゴミ箱に間違える人もいて、ヨシコが海外の人には分からないやろうなぁと、クスクス笑う。そしてこの金剛力士像を見ながら、

はぁあ、それにしてもかっこいい象やなぁ、この風神・雷神。

いやいや、ヨシコよ、アンタも間違ってるよ。

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奈良といえば鹿。鹿せんべいを買っては、鹿が群がり食べに来る。ヨシコよ、鹿せんべいでも買うかい?いえ、買いません。鹿は人から与えられなくても生きていく力を持っているからよ。そう言われると、原始林の中で見た1頭の鹿を思い出した。人からある一定の距離を保ちながら、悠々と下草を食んでいた鹿を。

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さぁ、家に帰りましょう。そろそろ冬将軍が忍び寄ってきたので、その準備もしないとね。

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将棋盤

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桂四寸の将棋盤。ボクが小さいころ、母方の祖母の家に転がっていた将棋盤で妹とよく遊んだことを記憶している。その盤が、倉に眠っているのではないかと思い、親に探しておいてと頼んでいたところ、美しい木目の将棋盤が届いた。どうやら前の盤は使い物にならないらしく、ボクの孫の代まで使えるものをとわざわざ贈ってくれたのだ。びっくり仰天、これは大切にせねばと、さっそく駒を並べてヨシコと本将棋。

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こらこら!ヨシコよ。

いくら王手から逃れるとはいえ、そんな手はありません。それにしても木目が美しく、乾いた布でついつい磨きたくなる。100年は遊べるだろうなぁ。

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最後はやっぱり将棋崩し。そういえば20年前、妹とよく遊んだのも将棋崩し。確か駒がいくつか無くなっていたのが原因で、何だか在りし日の祖母の家を思い出す風景がここにはある。彼岸花がとても綺麗で、近くの小川でオイカワを釣って帰ると喜んだ祖母。きっと水槽で飼うのだろうと思いきや、そのまま焼かれて食べられたっけ。そんな記憶がふと湧いて出た。あの縁側で遊んだ将棋盤ではないけれど、将棋にまつわる思い出は、きっとこれからも続いていくのだろう。

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食と農の未来

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日本は何人養える!?「食と農の未来―この国の自給力とは―」というセミナーに行って来ました。石油資源に頼る現代農業の危うさという論旨で展開された内容でしたが、すでに認知されていることであり、その先のことを聞きたかっただけに消化不良でした。

また石油に頼るのか、頼らないのか矛盾した論旨も多く、また自給率をあげるという論旨において、車やパソコンなどの工業製品が売れなくなるから他の産業を活性化し、輸出し、その現金を持って食料を買おうというまた訳のわからない発言や、まとめにおいて「食料自給率をできるだけ高める」というが、その方法を聞きたいわけである。

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そんな数字の世界を離れて、いつも通っている比良を考えてみる。ほっとママの田んぼは大きいとは言えないけれど、1家族が1年間食べれるだけの米を作れると聞くと、その広さを知るだけに、自給自足の実感として勇気がわいてくる。また今宵見た、今森光彦さんの映像詩・里山「森と人 響きあう命」(NHKスペシャル)からは循環する生命の営み、石油という一方通行のエネルギー活用ではない仕組みを分かりやすく訴えられるほうが、未来に希望を持ててくる。いくら石油エネルギーがあっても、生命が育つ土地がなくなって、草が生えなくなり、自然の恵みが受けられなくなったときのほうが、よっぽど怖い。

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懇親会での会場で、このカフェでは無農薬栽培の野菜を提供していますというポスターを見た。石油から離れた農業を展開しようとしている、そんな人の話こそ聞いてみたい。また違う論旨を持つ人のトークバトルも思わぬ結論を導き出すのではないだろうか。今日、映像詩・里山で見た、ハチミツは森の恵みとばかりにおいしそうに食べていたおじいさんの顔が忘れられない。ボクは農業のことはよく分からないが、ただ安心して自然からの恵みを享受したいだけなのである。

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それはさておき、比良のMさんとまたお会いできたことが本当に嬉しい。比良を通じて色々な人と交流と持ち、これからの世界を考えることが出来るということが、何よりもの喜びなのです。またセミナー中、食べ物の話ばっかりだったからか、ヨシコのお腹がグルグルグルっと鳴っていた。どうやら、お腹が減ったみたい。

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秋茄子

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ぷふぁぁ。

昼間の焼肉は最高である。しかもいつも行く天王寺のこの店は、カウンターでひとりひとつのロースター。こだわり焼肉奉行としては願ったりなのだ。しかもここの上ハラミと、キムチ盛りは無敵である。またまわりは常連客のおじさんばかりで、注文の仕方も「いつもの肉」という男前ぶり。言うならば、床屋に行って黙ってても最高の髪型になるあの呼吸である。それを受け応えるカウンター内のおばさんも、ちょっと咽喉が渇いたら、お茶ではなくビールを流し込む。やっぱりこの雰囲気が落ち着くわぁ。

ヨシコはこの店の冷麺が大好き。今日もオーダーして、うまいうまいと噛みしめる。

おばさーん、この冷麺のスープおいしいわぁ。

そうでしょ!ちゃんと「アキレス」から出汁をとったりしてるからよ!

へぇ、野菜たっぷりなんだー。

ん? ヨシコよ、ひょっとして・・・。

ん? 「秋茄子(アキナス)」じゃないの?

今日も「平和」が一番です。

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ざくろ

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もう何年も通っている中国茶の教室で、今日は切り絵もさせていただいたようで、いつになくご機嫌ヨシコ。色々な生徒さんがいる中で、ヨシコが切り抜いたのは柘榴(ざくろ)。はじめてにしては上手でしょ?と自分の作品を眺めている。

ところでヨシコよ。なぜ、「ざくろ」にしたのかね。

なぜって「ざくろ」を飾ると子宝に恵まれるって聞いたからよ。

子宝と聞いた瞬間、ヨシコから見て「ざくろ」である作品は、向かい合わせで見ているボクからすると・・・。

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何だか子宝に思えてきた。

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茶壺(ちゃふう)も、魚が泳いで素敵でしょ?

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出会いの道

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標高1108mの打見山、びわ湖アルプス山荘前から比良の地がよく見える。誰しもが琵琶湖の広さ、武奈ヶ岳や比良山系の雄大さ、空の青さに感嘆するだろう。だが、眼下に広がる地を歩いている僕たちにとってただ美しいだけではない。あれが駅で、樹下神社、そして迷いの森を抜けた先にはギャラリーskog。それが全てのはじまりで、ここからの景色には数多くの物語があるのだ。

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はじめて比良に仕事で降り立ったとき、絶対、誰も住んでいないと思った。それほどの田んぼである。そこから現場に向かう迷いの森があれば、最近では、出会いの道もある。今日も、車の窓から「早いねー」と、skogのご主人さまに声をかけられ、そのすぐ後に、これまた車の窓から「吹田まで乗っていきます?」と、古老Mさんの息子さんに声をかけられる。歩くということは、本当にいいものだ。色々な人、モノに触れ合える。

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今日も飛行機雲がのびていく。その下では、ひまわりを見ていると肩がこる!と言う人や、今年から急激に広がりつつある「ナラ枯れ」を心配する人、そしてそれにドングリを持って立ち向かおうとする人、湧き水を汲みに来る時に、「お水いただきます」「ありがとうございました」と必ず挨拶する少年、もう午後だというのに、今から山に入ろうとする馬鹿者、いつも細い窓から細長いカラダで優しく見送ってくれる人。多種多様な物語は、土を踏みしめて歩き、触れ合ってこそ、はじめて出会えるもの。点と点をつなぐ移動にはない、不思議な偶然が奏でる物語なのだ。

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わたしは勝利する

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暑くないですか?

稲刈りをされている古老Mさんの田んぼにお邪魔する。木陰のないところで親子二人で農作業とは大変である。昔はもう少し稲刈りも遅くて、気候的にも涼しく楽であったそうだが、近頃は品種が変わって何もかも早くなってしまったそうです。刈ったもち米は、去年の藁である程度の束に縛り上げ、乾いた水田に置かれていく。突然の訪問にも関わらず、迎えてくださったことに感謝しながら、今日は稲刈りの見学をさせていただいたのだ。

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おのれのサイズを知らんのか?

駅前のほっとすていしょん比良。皆が見つめる先には大きな沢蟹が歩いている。人間に見つかった彼は、ハサミを振り上げながら、その身を細い隙間に隠そうとするのだけど、まったくサイズが合わないのである。誰やろう、ハシゴ競争考えた人。もしカラダが挟まってしまったらどうしようって考えないのだろうか?とほっとママさんは笑いながら、いつまでも沸かされる珈琲を見て、世にも不思議なことが起こったという。2人分のはずが5人分抽出されて、それはそれはアメリカンな珈琲のできあがり。

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比良は水がうまいから、米も最高。新米を30kgくださいというお客さまが来られていて、ボクたちにむけて三笠フーズに頼んだらアカンぞ!と、何でも地産地消が安心であることを強調する。自分たちでつくって、自分で食す。それがもっとも安心できる食材であろう。ほっとママさんは、精米することを、お米を踏むという。きっと昔、家庭の土間にあったであろう唐臼(踏み臼)で精米していたからだろうなぁ。

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ほっとすていしょん比良には、実はキャラメルカスタードパンがあって、あまりのおいしさ故に、店頭に行くまでもなく、作り手さんの胃袋に納品されてしまうことがあるとか。そんなお話しを聞いていると、本日非番の方がガラガラっ!と入ってこられて、「ちょっと今日はキャラメルパンないのー?」と厨房にむけて聞いている。そう、これもまた門外不出、地産地消なのであろう。食べてみるとそのキャラメルの味はやさしくて、疲れたカラダにすっと入る甘さなのだ。

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琵琶湖に注ぐ川の水は冷たい。その小川にドジョウがいると聞いていたので、さっそく小川で遊んでいると、いつの間にやら大量の蟻がボクの足に絡み付いているではないか。しかもアゴが強いのか、噛まれたらとても痛い。ヒーッ!と思いながら急いで靴と、靴下を脱ぎ捨てて琵琶湖に避難。足元を見ると、西表島で熱帯魚に海草に間違えられて突かれ続けた豊かなスネ毛が、湖の波で揺れている。

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古老Mさんのご子息は、今まで勤められた会社を退社され、農業に可能性を見出している起業家。目の前でバインダーによって稲がどんどん刈られていく。すぐにお手伝いできることがないので、刈られたあとの土壌を歩くと、稲穂の色をした黄金のバッタ、稲の色をした緑のバッタ、土色のカエルやコオロギが逃げ惑う。彼らは隠れようとまた稲にむかうのだが、その安住の地もドドドドッ!と押し寄せる機械によって刈られていき、また逃げ惑うのだ。乾いた稲はサラサラと鳴って、土はほどよく柔らかい。刈られた稲の横にはすでに芽生えがあって、どんどんと生命が育まれている。稲に巣をつくっていた蜘蛛たちは、その間を隠れるようにそそくさと退場をはじめていた。

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ほれ、ヘビの皮。

古老Mさんが、ヨシコに目から尻尾まである美しいヘビの皮をくれる。女の子ならキャー!!と驚くことを期待されたかも知れないが、これはすごいとヨシコは大喜び。ボクが財布に入れておくとお金が貯まると親から聞いたことがあると告げると、ヘビの皮そっくりの首巻を震わせて、さらに大喜び。以前、我が家の家計簿をチラリと見たときに、合計金額欄のところに数字はなく、ただ漢字で「破産」と男らしく締めくくったヨシコは、これで安心とばかりに今でも大切に保管している。

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お父さん、刈り終わりました。ありがとう。

作業をはじめてから数時間後、田んぼの真ん中にバインダーを置いて一休み。次はもち米を天日に干せるように稲木を組むのである。近くの物置小屋から長い竹を運び出す古老Mさんは、足腰もしっかりと悠々と歩かれる。そして均等に太陽があたるよう南北をきっちり計るようご子息に依頼する。息子さんは時計のコンパスを使ってきっちりと導き出して報告するも、古老Mさんはそれを聞いてか聞かずか、自分の感覚と経験で決めた南北を変更することなく「だいたいで良い」と作業を続けられ、一同大笑い。

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そして古老Mさんは、魔法のような縄の結び方で比良の風にも負けない強固な稲木を組まれていく。何度見ても、その結び方の最後が早くて分からない。もちろんゆっくり実演したり、言葉で教えてくれるわけではないので、見てカラダで覚えなければならぬ。縄の結び方ひとつにしても、その土地の風土にあった知恵というものは、売っているような本から学べることではない。その土地の知恵を持つ人たちから学ぶことはいくらでもあるのだ。

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そんな農作業をしながらも、その田のまわりを通りかかった人たちと、天気のこと、人生のこと、農作物のこと、これからのことなど井戸端会議が絶えない。大きな空の下で繰り広げられる意見交換は、見ず知らずのボクにも筒抜けで大らかだ。比良あられを作っておられる方に、稲木に米を干す時は向きを揃えて!と激励を受けながら、せっせと汗を流す。無知ゆえに半そでだったため、チクチクと腕が痒くなるも、稲の香が気持ちいい。

東の空から月が出ようとしている。いつも満月の日には月に雲がかかるけれど、今日は一日前だから大丈夫だろうと、古老Mさんは今宵の「月と星と音楽の夕べ」を意識して教えてくれる。その方角には日野町があって、ボクたちがお手伝いさせていただいた稲たちが、きっと風にゆれているんだろうなぁと、Uさん御一家を思い浮かべた。

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今宵のお月見コンサートを無料で拝聴しようとするカエルを発見。

まだお月さんは恥ずかしくて隠れているなぁと、扇子片手に会場の駐車場を整理されているほっとパパさんの真後ろ、頭の上にお月さまがしっかりと見えている。会場には、美しい歌声を聴こうと多くの方がつめかける。蚊取り線香の煙が時折、ふわっと塊となって流れる会場に夜の帳が下りるころ、ソプラノの声が響きはじめた。

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こんな贅沢はいいのでしょうか。

心震わす歌声に、感動。マイクもなく歌われるその声は、琵琶湖の向こうまで聞こえているのではないかと思う。やっぱり本物は違うなぁと、ただただ身をゆだねるこの世は、素晴らしき世界。そしてアンコールにオペラ「トゥーランドット」が響き渡り、高らかに「わたしは勝利する」と2度宣言される。その言葉は、何か新しいことをはじめようと動き出したこの地の人々にふさわしい、贈り物のようだった。

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キャッチコピー

hira

なぜ、比良なのか。

10月4日に開催される「里の味覚と比良歴史ハイキング」のチラシの作成を依頼され、期日までに作成、完成し、今日、無事に届いたと連絡があり、ほっとする。そもそも依頼を受けた時点で、チラシはキャッチコピー勝負!と信じ、それは「なぜ比良なのか」という問いかけしかないっ!と思い込んでいた。

hira

しかしながらメモをとって字を見てみると、どうも硬いのである。そういうときこそ、頭が柔らかいヨシコに相談するのが一番なのだ。

ヨシコよ、歴史ハイキングのキャッチコピーなんだけど、どんなんがいいかなぁ?どうも「なぜ比良なのか」って硬いような気がするねん。ちょっと里山の味、新米を彷彿させるものも考えてくれない?

するとヨシコは瞑想状態にはいる。寝る前だったからほとんど寝ていると言って過言ではない。いや、むしろ寝ていた。しかしそこから神がかり的な発言を連発し始めたのだ。

ひらめき、ときめき、比良の旅!

おぉ、ヨシコよ、素晴らしい。

君は新米!比良リーマン。

おぉ、なんか初々しくていいねぇ。

比良を思えばヨダレが出るよ♪

それアンタだけやから。

また来たの?

それボクたちのことだから。

心の洗濯しませんか?無洗米。

いやいや、新米だから。

比良でかんじる、あぁ無情。

いやいや、違うこと感じて。

ヒヒ!

旭化成のイヒ!を盗んではダメ。

hira

突風吹くぞ、それが比良。

そうやけど、それじゃぁ人が来ないでしょ?

耳をすましてごらん♪カエルの大合唱。

それ夏限定やから。

比良ッケ。

コロッケだから。

心のトビラを比良ッケ!

ちょっとコロッケから離れてください。

いつも比良いています。営業日は水・土・日曜日。

それじゃぁ、いつも開いてないからウソになっちゃうでしょ?

豚汁比良。

かんじる比良だから。

hira

行けば分かる。無性(むしょう)に比良。

んっ!?いい!合格!

確かに無性に行きたくなるときあるよねぇ。駅から一歩出ると何もないと感じるけれど、実は何でもあるのが比良なんですよ。比良山系の麓に豊かな自然、アート、カフェ、別荘地、そして琵琶湖の恵み、近畿圏から安・近・短。秘かに関西の清里(山梨県北杜市)に成りうるのではないか。そんな土地に隠された歴史と、おいしい新米を味わえる「比良歴史ハイキング」。はじめての比良にもオススメ。楽しみだなぁ。

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孤高の人

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イーハトーヴの国、カイラス山、イギリス海岸。それぞれ岩手県、早地峰、北上川合流地点を、宮沢賢治は架空の地名で名づけている。身近な人の話では、滋賀県の北小松北部を「リトル上高地」と呼ぶ人がいるそうだが、そこには地名にその人の理想を当てはめる面白さがある。

銀河鉄道の夜、セロ弾きのゴーシュの原稿には何度も推敲を重ねた形跡があり、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ、慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラツテイル。かの有名な手帖を前にしながら小さな女の子が読んで、母はそれを嬉しそうに見ている。ここは大丸ミュージアムKOBEで開催されている宮沢賢治展。朝から人であふれていた。

宮沢賢治の遺書らしき手紙には、両親に対し謝罪の文面が見える。この生で返せなかったご恩は、次の生、またはその次の生で返しますという言葉が印象的。そして賢治からインスピレーションを受けた多く作家による絵画がその展示をしめくくり、宮沢賢治の世界を身近なものにしてくれる素敵な展示会だった。

その階下で偶然にも伝統工芸士、栗盛俊二さんにバッタリ!いつもヨシコが使っている「曲げわっぱ」の製作者であり、秋田なまりで、「オレの特徴あるわっぱをいっぱい触っていけ」と色々と魅せてくれ、「おひつ」が欲しいなぁとまで思ってしまう。

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タコのためなら走れるぜぇー!

信号が変わろうとしている車道をヨシコが叫びながら走る。ここが蛸の壺ですよー、それは思う壺だなぁという会話を耳にしながら、さっそく暖簾をくぐる。三線(さんしん)の音が響き、昼間からカウンターでタコをつまみに一杯やる。これが最高なのだ。

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くるくると素早く焼かれていく卵焼き、ネギブタはお酢と醤油、そして少しの豆板醤がピリリときいていて旨し。タコのすみそは、生タコの弾力もよく、うまいうまいと箸がすすむ。ヨシコについでもらうビールはよく冷えており、よくもまぁ、こんな酔っ払いの相手が出来るもんだねぇと言うと、泥酔で20分で帰れるところを自転車ごと垣根に突っ込み2時間かかって帰宅した数年前の話を持ち出され、へぇへぇ、すみませんと、めざしを噛みながらまた謝った。同じ過ちは繰り返さぬとばかり、そうそうにお勘定。

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一杯やって空を見上げると青空。これまた気持ちいいものである。神戸から大阪方面に向かう電車の中から、六甲の山々が見える。先ほど寄った本屋で見つけた「孤高の人」という本。いつぞやの山の雑誌で一番読まれている山岳本として紹介されていたことを思い出し、パラパラとめくって、おや、六甲の話もあるねぇとお勘定。

ヨシコよ、この主人公、加藤文太郎が「孤高の人」ならば、ボクは何の人かね?

知らん。

そんなアホみたいな質問に、ぶっきらぼうに答えられる間も、六甲の麓を速足の加藤文太郎のごとく電車は駆け抜けていく。ヨシコが眠りそうなので仕方なく読みすすめると、酔いの力も手伝ってかいつの間にかボクも眠ってしまい、そのまま二人して車上の人となった。

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