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2008年10月

アン・サリーとピスコ・ロック

ann

のってるかーい!

今日は、お腹が減ったとヨシコは干し芋をかじりながら、ポートアイランドへ。最近まで大阪南港で働いていたので、埋立地独特のどこか寂しい空気がある。しかし、アン・サリーのライブは温かく、マイペースなMC(演奏の合間に演奏者が話をすること)と歌声を堪能。それをささえる笹子重治(ささごしげはる)さんのギターが大好き。はじめて大阪で目の前で見たときにはあまりの凄さと、その人柄が出ているような音色に腰が抜けましたが、今回も楽譜を見て弾くときと、見ないでノリノリで弾くときのギャップが最高で、ますますファンに。ヨシコは相変わらずすぐに感涙。

そしてスウェーデンのソフィア・カールソン。そのトラッドな音色に会場は静まり返る。メンバーが覚えたばかりの日本語でMCをするとき、笑いあり拍手あり。つくづく意思を伝えあえる言葉というものは、大切だなぁと実感。

焼酎ロックが好きです。

グスタフ・ユングレン(ギター&サックス)の、この日本語MCには参りました。そんな彼にソフィアは「彼が今、日本語で何て言ったか分からないけど、どうせ馬鹿なこと言ったのでしょ?」とメンバー同士も和気藹々。そして最後はアン・サリーと、ソフィア・カールソンによる「オーバー・ザ・レインボー」。そのハーモニーにカラダがとろけてしまいます。

ann

さぁ、こちらもとろけましょう。

2年ぶりに訪れたのは、南米チリ料理「グラン・ミカエラ・イ・ダゴ」。この店の味が忘れられなくて、せっかく三宮に来ているのだからと足を運ぶ。魚介のブイヤベースにコリンアンダーをたっぷり、レモンもしぼっていただきます。牛ひき肉がおいしいミートパイに、ホタテとエビのセビチェ(魚介のマリネ)。トマトで煮込まれた鶏肉のおいしいこと、おいしいこと。このトマトと豆の組み合わせに、10年前旅したメキシコを思い出す。

ロサンゼルスからメキシコのカリブ海まで陸路で旅していたころ、お金にとぼしい中、タコスの屋台に顔を出す。たしか2ペソ(20円)ほどで、トウモロコシの生地(トルティーリャ)を5枚もらう。そして目の前の数ある食材を生地にはさんでタコス5個分を食べるシステムなのだが、若くお腹が減っていた当時、トルティーリャに食材をはさんでは、その食材だけをこっそり食べて、またそのトルティーリャを使うという、まぁ何とも恥ずかしいことをしていたもんだ。そのときに好きだった食材が、トマトと豆を煮たソースだった。

ann

ボクたちの机の周りには、若い学生さん。聞こえてくる会話は、タイやトルコへの旅と、異国情緒に溢れている。その言葉ひとつひとつに、こっそり反応しては、ヨシコと訪れたバンコクはカオサンの安宿、カンチャナブリで何万というホタルの光につつまれた夜のこと、カンボジアとタイ国境での事件など、心の引き出しからスルスルと引き出されていく。

さらに心の旅を煽るはこの店のオーナーの豊かな歌声。今日はずっと音楽と食に触れられる1日なのだ。そして口元に運ぶこの無色透明のお酒ピスコはアルコール度数、35度。ピスコとはペルー先住民の言葉で「鳥」の意味があるとか。ロックで飲んでいると、心のみならずカラダにも羽が生えてくる。最後に微かに香るマスカットの風味をかみしめながら、ヨシコと毎回同じ会話を。

おいしい、おいしい、おいしいね。

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焚き火

かんじる比良

比良にエーデルワイスが響くころ、それは正午の合図。

かんじる比良「作家の仕事展」を朝から見たのち、ほっとすていしょん比良へ。突風で骨組みを何度も痛めつけられたパラソルの下には、稲刈りの跡から空に向かってのびる緑。ゴメン~、じゃがいものコロッケと思ってあげたらカレーのコロッケやった~、もうちょっと待ってくれる?いえいえ、カレーで結構です。そんな比良の食材を前に、このおいしさは罪と、ヨシコは薄っすらと涙を浮かべた。

かんじる比良

食卓の上には近くで咲いていたであろうコスモスの花がおもてなし。そこへ「お邪魔します」とひとりの美しいおばあさんが入ってきて、80歳ちかくであろうか、その花を見て、「美しいどすなぁ」と京言葉。何十年たっても美しいものは美しいのだと、あらためて感じるものがあった。おそらく近所の方だとは思うが、「おいしいお茶をよばれまして」と、南比良の方へ。入れ替わるように、ギャラリーskogを訪ねようとされている奥様方が来られ、ほっとすていしょんの方が道案内。

この道をまっすぐ行ったところの天満宮さんを・・・。

樹下神社ではなく、天満宮。その言葉だけで南北どちらの比良にお住まいか、分かる気がする。

かんじる比良

さてギャラリーskogを訪ねようとされていた奥様方は、偶然にもskogの女王様のご友人だった。琵琶湖を見下ろす窓辺の前で、赤トンボたちが一列に並んでいる。それと同じように一列にならんだ奥様方は、時を越えたお話を。

あれー?あの髪の毛は自然の白?そうよー!

玄関から車に向かわれる素敵なロマンスグレーのご主人を眼下に見ただけでも会話がはずむ。車に乗り込んだご主人は「かんじる比良」の無料バスの運行に差し支えのないよう、今日も地元の方々に対し、色々とお願いしにまわられるのです。そんな陰からの支えがあるからこそ、「かんじる比良」は動いていくのでしょう。

かんじる比良

2年間の思いがパチパチと燃える。

あたかな家具を作られるスープファニチャーのOさん宅で、ガレージ裏に2年前からあった、ある木材を焚き火にくべる。「かんじる比良」も2年目。今年の冬はどのように燃え上がるのだろうか。

かんじる比良

焼きあがったよー!

冷たい水の中を泳いでいる鮎を何とか手づかみし、串に刺す。生きた魚をつかむのは、海釣りでサバを引き上げたとき以来だ。食べることは、命をいただくということ。ありがたくいただかねばならぬ。何よりも遠火でじっくりと焼いた鮎は香ばしく、うまいのだ。また「食」とは人に良いと書く。背面に控えた漆黒の闇を忘れ、光り輝く炎を前に、人々が集い、食し、笑う。これほど楽しいことはない。リサちゃんが吠え疲れ、月がオグラス山(蛇谷ヶ峰)を照らすころ、比良に住まう人々の会話を聞きながら、おいしいシフォンケーキがゆっくりとカラダに溶けていった。

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ハンモックから見た青い空

万博公園

はぁぁ、気持ちええなぁ。

今日は日本晴れ。家の裏にある万博公園でハンモックを引っ掛けのんびりする。風にゆらゆらと揺られながら、さわさわと音をたてる木の葉にうっとり。そのまま目蓋を閉じてしまいたいほどの心地よさ。こんな休日もいいものだ。

万博公園

そうは問屋が卸さぬぞ!

活発なヨシコがボールを投げてくる。二刀流をしようと言い出し、ボールふたつを投げ合って、互いに取り合う。バトミントンにも興じたが、下手すぎてゲラゲラ笑い、芝生のグランドを朝から走り回って、汗まみれ。フラフラになればハンモックでブラブラ。元気になればまたボール遊び。その繰り返しなのだ。

万博公園

こんな大きな公園が街のあちこちにあればいいのになぁ。

ハンモックに揺られながら、木々の下に憩う人々を見て思う。ロンドンのハイドパークみたく、ついつい行きたくなるような公園があれば、梅田のど真ん中でも行くだろう。もう駅前の開発はいいから、木々を植えておくれ。そこに人が集えば、帰りに周りの商業施設も利用するだろうし、いいと思うんだけど。時間貸の駐車場ももういいよ。ビルが壊されたと思えば、すぐに駐車場。それより、昔あったような皆が集える貸し畑にしておくれ。おいしい野菜を作るからさぁ。街で暮らすひとり暮らしの人も、畑で情報交換したり、色々な人に出会えると思う。そんなことをハンモックの中でブラブラ揺られながら夢想していると、ヨシコがソフトクリームを食べたいというので、もぞもぞと起き出した。

万博公園

その足で国立民族学博物館で開催している特別展「SELF and OTHER 「アジアとヨーロッパの肖像」を見る。アジアとヨーロッパの人びとが、自らをどのようにとらえ、お互いをどのように受けいれてきたのか。その認識の移り変わりをたどるものでしたが、非常におもしろかった。社会の資料集でみたような貴重な資料もあって、大満足。その中でもマルコ・ポーロはフビライ・ハンのある問いに対し「旅をするのは旅で出会う他者の中に、自分の中にあるほんの少しの何かに気づくため」と答えている。

万博公園

ボクは旅が大好きだ。マルコ・ポーロの言い分にもとても共感するものがある。そしてほんの少しの何かに気づいたのならば、そろそろ自分の言葉で足で歩き出さなければならないのではないか、という焦燥感にも似た自分への期待、展望がハンモックから見た青い空に広がっていく。だが歩き出す前に博物館の資料館にて、こんにゃくの作り方を映像で学びながら、ふたりともまどろんでしまった。だって、無音でずっと畑を耕しているんだもん。

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比叡山延暦寺

sakamoto

ちょっとヨシコさん、普通に歩けませんか?

ここは滋賀県は坂本。先週、比良歴史ハイキングで信長の比叡山焼き討ちについて色々聞いたので、それならば焼かれた比叡山に行ってみようと、歩く、見る、聞くの我が隊はさっそく電車に飛び乗った。しかもこの地は比良のある方のお膝元ではあるが、ただいまお留守と知っている。その隙を突いて石だらけの町並みを楽しむのだ。

sakamoto

そもそも坂本は穴大衆(あのうしゅう)と呼ばれる城の石垣などを作った石工集団の出身地。大小さまざまな自然の石の声を聞きながら、隙間なく積まれる様は美しい。それは普通の民家にもあり、苔が生すほどこの町に溶け込んでいた。

sakamoto

ヨシコが青い顔をしているので、これはエネルギー切れだと悟り、食事する。そこはおじさんがひとりで切り盛りしていたのだが、注文も聞いて、キッチンに戻って調理もしたりと大忙し。ヨシコの顔も赤みを帯びて、腹ごしらえ完了。では参りますか。

sakamoto

日吉神社に入るなり、冷りとした空気に包まれる。どこか違う空間に来たのではないかと思うも、それはすぐ近くに小川があるからと知る。そこにかかる橋も石造り。これはすごいなぁと、感動。もちろん鳥居も石造り。

sakamoto

その小川に少し入ると、何とも素敵な場所にでる。流木が長い間この石にはさまれ動かなかったからか、その流木からキノコが生えている。ヨシコはそれに気づき、川の上を石伝いに近づくも、その帰り際、石がぐらついて川に落ちそうになる。ボクはそれをただ眺めていたのだが、ヨシコはどうして心配してくれないのよー!あやうく川にドボンよ!そう言えば西表島のマリウドの滝のときも、滑って滝に落ちかけたのに、心配してくれなかったわよねー!とえらく昔の話まで引き合いに出される。

sakamoto

でもヨシコよ。座間味島を思い出してごらん。連絡船から島に飛び降りて1分後。大人5人分ほど大きく「すべる」と注意勧告された階段で、見事、南国の海にむけてすべっていったアナタに、どう事前に注意し心配しろと言うのかね。大股開き、空高く両足をあげ、お尻は海苔まみれ、服を破りながら転がっていったアナタの姿を見て以来、今日の川なんてどうってことはないのです。

sakamoto

日本一長いケーブルカー、比叡山坂本ケーブルの車掌さんが色々と話しかけてくれる。昨日の今頃、夜行性であるはずの大きな角をつけた鹿さんがいたことや、このケーブルカーの仕組み、通り抜けているトンネルの長さ、この勾配について、大正14年に建設されたケーブル延暦寺駅についてありとあらゆること。それはそれはこの地を愛するかのごとく、僕たちに語りかけてくれ、送り出してくれる。こんな出会いは本当にうれしい。

sakamoto

坂本駅を出てすぐ、霊窟の石仏がありその数は200を越えるという。織田信長の比叡山焼き討ちの際、亡くなった人達の霊を慰めるために地元の人たちが石仏を刻み冥福を祈ったと伝えられている。比叡山の焼き討ちにしても、京・大阪の空襲にしても、原爆にしても、イラクにしてもそう、人間は火をつけて最後の勝負をする。それが人間の業と言うのであれば、比叡山の麓にあり、焼き討ち後の復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)をまつる慈眼堂やこの霊窟の石仏のように、そこから新しく一歩を踏み出すのもまた人間なのでしょう。

sakamoto

さて比叡山延暦寺は人と車でいっぱい。気温は14度。あやうくTシャツだけで来ようとしていたのだが、上着を持ってきて正解だった。開祖である最澄は、お茶好きのヨシコによると中国から日本に茶種を持ち込んで、この日吉の地に日本最古の茶園を開いたとか。それはヨシコが愛読している昭和48年の別冊太陽「茶」によるもの。余談になるが、ボクたちが生まれる前に発刊されたこの雑誌の写真は美しい。茶器にしても、田んぼの写真にしても撮影する人にその物を見る目がしっかりとある感じがするとヨシコは言う。写真は解像度ではない。撮影するその人の心の持ち方こそ、人を魅了する写真となるのだろう。また他の昭和40年代の雑誌を読んでいると、その文章も秀逸である。それもきっと聞く耳、見る目、確かな国語力があるからであろう。

sakamoto

おや、早く帰られるのですね。

行きと同じ車掌さんと一緒に下山する。帰りもボクたちを覚えてくれていて、これまた色々と教えてくれる。こんな親切な方がおられるのだなぁと、ふと名札を見る。

・・・ヨシコよ、車掌さんの名前知ってた?

見てないけど、どなた?

タニグチさん。

恐るべし坂本。この地の石組みのごとく隙なし、比良のあのお方。遠く離れても、坂本を案内せしは同じ性の方と知り、ヨシコと大笑い。

sakamoto

ピューヒョロロロロー。

夕暮れ、比良にはトンビが舞う。美しい青の中を悠々と飛ぶ彼の羽毛のひとつひとつが見えるほど近くを舞われたことがある。それはとても感動的な瞬間だった。

ピューヒョロロロロー。

帰りの電車の中で寝息をたてるヨシコ。起きたら目の前に握り寿司があればいいなぁと言って寝るのはいいが、その紛らわしい寝息はどうにかならないのかね。そんなボクたちを乗せた電車は比叡山を後にし、日が沈む方へと走っていく。それはまるで太陽が沈まないようにどこまでも追いかけているようだった。

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シンデレラ

特別な日。

それはすき焼きが食卓を飾る日。幼少のころ、寒くなり家に帰ってくると食卓にカセットコンロが置いてある。だがまだ安心してはいけない。次に登場するのが土鍋か、それとも何十年も使い古された南部鉄器の黒く重い鍋か。ここが運命の分かれ道なのである。土鍋と違い、南部鉄の鍋は重いので、親父がゴソゴソとすると「すき焼き」への道が開かれる。そこから立ちのぼる甘い脂の香。それは特別な日への誘いなのだ。

さて今日はボクの誕生日。そう特別な日なのである。ヨシコにどう過ごそうかと相談され、家で「すき焼き」を食べたい!と提案した。

それはいいわねぇ、ヨチュオさん。それじゃぁ、会社の帰りに「美味しい」肉を買って帰ってね。

えっ?ボクがですか?

はい。そうですよ。

これまたヨシコがお肉を買ってきてとは言わず、「美味しい」という形容詞をつけたものだから、本日、会社帰りに百貨店へ。ヨシコはすでに待っていて、自分の誕生日のごとく数ある肉の前で嬉々としている。パックで買うようなものではなく、おばさんと笑い話しながら量り売りしてもらう。やっぱり対面式が好き。

niku

うまーい!!!

肉を焼きながら醤油と砂糖で味をつけ、頬張る。その肉のうまみを吸い込んだ野菜も申し分なし!これこそが特別な日にだけ味わえるのだ。何でこんなに美味いのか。そもそもすき焼きとは、その昔、使い古した鋤(すき)の上で鴨肉やら野菜を焼いたことが起源のひとつと聞いたことがあるが、それを実行した世界で最初の人にお会いして、握手をしたいぐらいである。そして家のスピーカーから流れる名曲ハンバート・ハンバートの「大宴会」。

歌え 踊れ 乾杯しよう 歌え 踊れ 夜を賭けて♪

niku

お酒もすすみ、すき焼きでお腹いっぱい、さらに食後のケーキを食べ、ほっと一息。するとタタァーッ!とヨシコが片付けていく。気づけばテーブルの上に何もない。

エッ?さっきまでの楽しい宴はどこへ?そして家のスピーカーから流れるハンバート・ハンバートの「荒神さま」。

おめえ、食うもの食って、ごろごろして、殿様気取りか 黙っておれば このごくつぶし♪

まさに奢れる人も久しからず 、ただ春の世の夢のごとしである。その理由を探そうとほろ酔いの頭で時計を見ると、もうすぐ夜12時を迎えようとしている。

ハッ!その先は・・・普通の日。

魔法がとけるとき、シンデレラってこんな気分だったのかなぁ。そうだガラスの靴を落とそうと、ボクは靴下を脱ぐ。でも怒られそうだから、脱衣所のカゴに入れておこうと立ち上がる。するとヨシコが洗い物をしながら、今日も楽しい日やなぁ。32歳の誕生日おめでとうと言う。そして家のスピーカーから流れるハンバート・ハンバートの「おいらの船」。

おいらの住む家は、お前と住む家は、二人で住む家はいつでも明るい♪

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母のひとあじ

inekari

聖(ひじり)が古来より好む地、比良。比叡山が開かれる前、興福寺の坊さんも修行に来た霊山は、修行僧にクマやサル、シカが食べ物を差し入れたという話が残るほど自然豊かな地でもある。ほんの数十年前まで、山にはクリ、そしてマツタケが採れたのも今は昔。大津市学芸員の和田さんのお話を聞きながら、古老の比良岡さんがしきりに上唇をなめている。次はわしの出番じゃ!とばかりに、臨戦態勢なのだ。

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今日は地元の古老の方に連れられて比良歴史ハイキング。案内人である古老の比良岡さんと森さんはおそろいの杖。さっきそこで木を切ってつくりましたと、即席の杖の用途を聞くと、そんなもん居眠りしとったらこの棒でバーン!や、と比良岡さんニヤリ。それにしても「信長の比叡山焼き討ちは何故起きたのか」とチラシに書きおって、そんなもん答えはないわい!と、困惑顔。そしてほっとママのスピーチでハイキングは始まった。

inekari

出会い小屋からアスファルトで舗装された道を上がる。比良岡さんは長靴、森さんはもちろんモンベルの登山靴、そして中村翁は星マーク入りの粋な靴。御歳80才を過ぎているとは思えないファッション、内からでるオーラ、格好よすぎる。バチン!と足を叩きつけたかと思うと、ハチが一匹コロリと倒れた。400から700年前まではこのあたりに市場があって、水をひいてきた。お宮さんも今よりもっと上にあって、皆、山に住んでいた。そこから開墾して田んぼにしたんやなぁ。このアスファルトの道にしたかって、昔は細い道やったと、古老の普段の会話に歴史の重みがある。

inekari

すべり石に到着。子どものころは山に来るのが仕事でした。そしてまた山は遊びの場でもありました。そんなお話しをされている比良岡さんの背後で、中村翁がすべり石の草取りを、森さんは雑草を踏み倒したりと、何も言わず綺麗にされていく。地域のものは地域の人間が大切にする。そう身体が自然と動くあたりに、感銘。信長が比叡山との話し合いが破談となり、この石の上で侍に気勢を上げさせ、その馬のひずめの跡が石には刻まれているという比良岡さんの話。まぁ、この時代の馬に蹄鉄をしていたかというのは、分かりませんがねぇとその背後で森さんは笑う。

inekari

昔はコンクリートではなくて、家でも鳥居でも何でも石でやりました。山から切り出した石や木は、木の車で下ろすのですが、坂道は非常に危ないので木の後ろに石をくくりつけて車が滑り降りないようにしました。昔の人はよく考えて事故のないように工夫しておりましたなぁ。また柴や割り木を採るために、15から20mの間隔でここはお前のもんやと決めて、そこから上に向けてバーッと利用しました。また山の上では炭をつくる人もいたようです。自動車があがってきたのは昭和30年ごろ。さてメシが楽しみや。今日はマツタケ飯やで(冗談)。

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行場の滝。この水って飲めるのですかと聞くと、上澄みだけすくって飲んでください。どうして上澄みだけなんですか?だって砂が入るんですよと、森さん。なるほど。花崗岩の山は水が綺麗だという理由として、土気や泥気がないということ。そんなことも知らんのか?と比良岡さんには笑われた。

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あっ、このヨシコの顔。お腹が減りましたの顔ではないか。

人が山に入らなくなってからマツタケが採れなくなった。山にコンロを持って行って、すき焼きにマツタケ入れたらうまいぞー!谷のフキは皮を剥かんでもダーン!と食べれたんや。クリもダーン!山椒もダーン!ゼンマイもダーン!それにしても比良岡さんのお話には「ダーン!」がよく出てくる。それはきっと「山盛りいっぱい」の意味なのだ。

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うまーい!ほっとすていしょん比良の豚汁最強です。新米のおにぎりも、竹の皮につつまれて、その中からサツマイモのツルの佃煮。これがまたおいしいのです。炊き込みご飯のおにぎりもあって贅沢三昧。あつあつの豚汁には秋の味覚がダーン!思わず「おかわり」してしまいました。

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皆で食べているすぐ隣までナラ枯れが進行しています。森を歩いていると、ある参加者の方が「ナラ枯れは森の循環かも知れないなぁ。私もそうなればいいけれど、私、毒キノコだから・・・」と言う。それにしても皆さん、腰に手を当てるのはなぜ?

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案内人、森さんは知識の玉手箱。左手に持たれた資料を目にすることなく、スラスラと難しいことを分かりやすく教えてくださいます。「さて歴史の何故という問いかけに対し、いろいろな意見がございます。私の話す内容はそのひとつですから、皆さん、ぜひ類推してください。私はただの百姓でございますが、たまたま地区の文書を目にする機会がございまして、私もまだまだ発展途上でございます。お前はそんなこと言うとったけど、そうじゃないぞとあれば、おっしゃってください。」と締めくくられる。拍手喝采のこの場も、事前に草刈をして準備してくれた人がいたからこそ、皆、木陰で歴史の話に耳を傾けられたのです。

inekari

ダンダ坊の奥にある庭園跡。比良岡さんの話を聞いていると、森の中に在りし日の寺や庭が目の前に現れそうになる。庭にあった池の跡では、滋賀県の人は何でも琵琶湖の形にしたがる。それはええもんやと杖で指し示し、また石の積み方は穴太積み(あのうづみ)であると聞くと、その末裔が穴太衆(あのうしゅう)であり各地の城の石垣を築いたのであろうかと想像してしまう。また日本人に関わらず、人間は火をつけて最後の勝負をするのが好きや、比叡山の焼き討ちにしても、東京・大阪の空襲にしても、原爆にしても、イラクにしてもそうです。それは人間の業でしょうなぁ。

inekari

さて歴史ハイキングも無事終えて、ギャラリーskog夫妻と、ほっとママ&パパで打ち上げ。ナスとニシンの煮付け、エビチリ、蒸し豆腐、エビ芋、イカの一夜干し、カニときゅうりの酢の物、小柱と三つ葉の天ぷら、出しまき卵、春雨の甘辛いため、鳥刺し、大根メシが、あれよあれよと胃袋へ。母のひとあじも、ふたあじもおいしくいただき、尊敬できる大人に囲まれて、ワイワイと大はしゃぎ。

inekari

少ししてボクの隣に座った見知らぬおじさんは、遠く仰木で畑を借りて作物を育てようとしたそうです。ところが全部、虫に食べられたとか。何かを得ようとするならば、その土地にいてよくよく見ないと育たないもんですなぁと、互いに酒を傾け、これまたゲラゲラと笑いながら夜が更ける。好きな地域の歴史に触れるにもまた、よくよく聞かないと分からないものです。

inekari

さて色々と調べてみると比良は歴史の空白地であります。国立民族学博物館の資料を見渡しても、角倉太郎さんの比良登山史があるぐらいで、読んだもののまだまだ謎だらけ。古地図を見てみると、北比良と南比良の文字が逆向きに書かれ、これは対立していたからか?と興味深くもありロマンもある。ただ、今日行われた歴史ハイキングという催しも、比良の歴史の新たな1ページとなる。数十年後、「昔、比良の山にこの歴史ハイキングの準備のためにトイレ掃除に向かう女傑がいた。皆は彼女ではなく、熊の心配をした。なぜなら熊は彼女に出会うなり投げ飛ばされて、どこかの山で倒れてないかと噂したもんだ。」今後、そんな案内人が現れるかも知れないなぁ。

※かんじる比良実行委員会・比良歴史ハイキングのレポートはコチラから

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