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母のひとあじ

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聖(ひじり)が古来より好む地、比良。比叡山が開かれる前、興福寺の坊さんも修行に来た霊山は、修行僧にクマやサル、シカが食べ物を差し入れたという話が残るほど自然豊かな地でもある。ほんの数十年前まで、山にはクリ、そしてマツタケが採れたのも今は昔。大津市学芸員の和田さんのお話を聞きながら、古老の比良岡さんがしきりに上唇をなめている。次はわしの出番じゃ!とばかりに、臨戦態勢なのだ。

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今日は地元の古老の方に連れられて比良歴史ハイキング。案内人である古老の比良岡さんと森さんはおそろいの杖。さっきそこで木を切ってつくりましたと、即席の杖の用途を聞くと、そんなもん居眠りしとったらこの棒でバーン!や、と比良岡さんニヤリ。それにしても「信長の比叡山焼き討ちは何故起きたのか」とチラシに書きおって、そんなもん答えはないわい!と、困惑顔。そしてほっとママのスピーチでハイキングは始まった。

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出会い小屋からアスファルトで舗装された道を上がる。比良岡さんは長靴、森さんはもちろんモンベルの登山靴、そして中村翁は星マーク入りの粋な靴。御歳80才を過ぎているとは思えないファッション、内からでるオーラ、格好よすぎる。バチン!と足を叩きつけたかと思うと、ハチが一匹コロリと倒れた。400から700年前まではこのあたりに市場があって、水をひいてきた。お宮さんも今よりもっと上にあって、皆、山に住んでいた。そこから開墾して田んぼにしたんやなぁ。このアスファルトの道にしたかって、昔は細い道やったと、古老の普段の会話に歴史の重みがある。

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すべり石に到着。子どものころは山に来るのが仕事でした。そしてまた山は遊びの場でもありました。そんなお話しをされている比良岡さんの背後で、中村翁がすべり石の草取りを、森さんは雑草を踏み倒したりと、何も言わず綺麗にされていく。地域のものは地域の人間が大切にする。そう身体が自然と動くあたりに、感銘。信長が比叡山との話し合いが破談となり、この石の上で侍に気勢を上げさせ、その馬のひずめの跡が石には刻まれているという比良岡さんの話。まぁ、この時代の馬に蹄鉄をしていたかというのは、分かりませんがねぇとその背後で森さんは笑う。

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昔はコンクリートではなくて、家でも鳥居でも何でも石でやりました。山から切り出した石や木は、木の車で下ろすのですが、坂道は非常に危ないので木の後ろに石をくくりつけて車が滑り降りないようにしました。昔の人はよく考えて事故のないように工夫しておりましたなぁ。また柴や割り木を採るために、15から20mの間隔でここはお前のもんやと決めて、そこから上に向けてバーッと利用しました。また山の上では炭をつくる人もいたようです。自動車があがってきたのは昭和30年ごろ。さてメシが楽しみや。今日はマツタケ飯やで(冗談)。

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行場の滝。この水って飲めるのですかと聞くと、上澄みだけすくって飲んでください。どうして上澄みだけなんですか?だって砂が入るんですよと、森さん。なるほど。花崗岩の山は水が綺麗だという理由として、土気や泥気がないということ。そんなことも知らんのか?と比良岡さんには笑われた。

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あっ、このヨシコの顔。お腹が減りましたの顔ではないか。

人が山に入らなくなってからマツタケが採れなくなった。山にコンロを持って行って、すき焼きにマツタケ入れたらうまいぞー!谷のフキは皮を剥かんでもダーン!と食べれたんや。クリもダーン!山椒もダーン!ゼンマイもダーン!それにしても比良岡さんのお話には「ダーン!」がよく出てくる。それはきっと「山盛りいっぱい」の意味なのだ。

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うまーい!ほっとすていしょん比良の豚汁最強です。新米のおにぎりも、竹の皮につつまれて、その中からサツマイモのツルの佃煮。これがまたおいしいのです。炊き込みご飯のおにぎりもあって贅沢三昧。あつあつの豚汁には秋の味覚がダーン!思わず「おかわり」してしまいました。

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皆で食べているすぐ隣までナラ枯れが進行しています。森を歩いていると、ある参加者の方が「ナラ枯れは森の循環かも知れないなぁ。私もそうなればいいけれど、私、毒キノコだから・・・」と言う。それにしても皆さん、腰に手を当てるのはなぜ?

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案内人、森さんは知識の玉手箱。左手に持たれた資料を目にすることなく、スラスラと難しいことを分かりやすく教えてくださいます。「さて歴史の何故という問いかけに対し、いろいろな意見がございます。私の話す内容はそのひとつですから、皆さん、ぜひ類推してください。私はただの百姓でございますが、たまたま地区の文書を目にする機会がございまして、私もまだまだ発展途上でございます。お前はそんなこと言うとったけど、そうじゃないぞとあれば、おっしゃってください。」と締めくくられる。拍手喝采のこの場も、事前に草刈をして準備してくれた人がいたからこそ、皆、木陰で歴史の話に耳を傾けられたのです。

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ダンダ坊の奥にある庭園跡。比良岡さんの話を聞いていると、森の中に在りし日の寺や庭が目の前に現れそうになる。庭にあった池の跡では、滋賀県の人は何でも琵琶湖の形にしたがる。それはええもんやと杖で指し示し、また石の積み方は穴太積み(あのうづみ)であると聞くと、その末裔が穴太衆(あのうしゅう)であり各地の城の石垣を築いたのであろうかと想像してしまう。また日本人に関わらず、人間は火をつけて最後の勝負をするのが好きや、比叡山の焼き討ちにしても、東京・大阪の空襲にしても、原爆にしても、イラクにしてもそうです。それは人間の業でしょうなぁ。

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さて歴史ハイキングも無事終えて、ギャラリーskog夫妻と、ほっとママ&パパで打ち上げ。ナスとニシンの煮付け、エビチリ、蒸し豆腐、エビ芋、イカの一夜干し、カニときゅうりの酢の物、小柱と三つ葉の天ぷら、出しまき卵、春雨の甘辛いため、鳥刺し、大根メシが、あれよあれよと胃袋へ。母のひとあじも、ふたあじもおいしくいただき、尊敬できる大人に囲まれて、ワイワイと大はしゃぎ。

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少ししてボクの隣に座った見知らぬおじさんは、遠く仰木で畑を借りて作物を育てようとしたそうです。ところが全部、虫に食べられたとか。何かを得ようとするならば、その土地にいてよくよく見ないと育たないもんですなぁと、互いに酒を傾け、これまたゲラゲラと笑いながら夜が更ける。好きな地域の歴史に触れるにもまた、よくよく聞かないと分からないものです。

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さて色々と調べてみると比良は歴史の空白地であります。国立民族学博物館の資料を見渡しても、角倉太郎さんの比良登山史があるぐらいで、読んだもののまだまだ謎だらけ。古地図を見てみると、北比良と南比良の文字が逆向きに書かれ、これは対立していたからか?と興味深くもありロマンもある。ただ、今日行われた歴史ハイキングという催しも、比良の歴史の新たな1ページとなる。数十年後、「昔、比良の山にこの歴史ハイキングの準備のためにトイレ掃除に向かう女傑がいた。皆は彼女ではなく、熊の心配をした。なぜなら熊は彼女に出会うなり投げ飛ばされて、どこかの山で倒れてないかと噂したもんだ。」今後、そんな案内人が現れるかも知れないなぁ。

※かんじる比良実行委員会・比良歴史ハイキングのレポートはコチラから

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