魚屋道
これは非常に恥ずかしい。
ボクは今、有馬温泉、金の湯にいる。すぐにのぼせてしまう体質なので、温泉とは疎遠だったが、はるばる山を越えて来た今日は、喜んでいただくつもりだ。しかし、慣れないことに挑戦すると失敗がつきもの。急いで脱いだはいいが、何を思ってかズボンから脱いでしまう。初冬の山装備、着込んだ上半身に、裸の下半身。これでは変態である。全裸に靴下よりひどい。ボクはあわてて上着を脱ぎだした。
さて、それより6時間前。朝日とともにヨシコに見送られ、甲南山手に降り立つ。本日の目的は魚屋道(ととやみち)。魚屋道とは、神戸の海辺近くの魚屋さんが、毎朝とれたての魚を六甲山を越えて有馬温泉まで運んだ道なのだ。リュックの中にはもちろん、めんたいこ入りのオニギリ持参。海産物?でございます。
さてさて、さすがに11月末ともなると肌寒いが、森稲荷神社を越え、魚屋道に入ると、汗が吹き出てくる。TシャツにIBEXのメリノウールだけで十分。しかもグレゴリーのリュック、z30のStream DTS サスペンションの優れた通気性のおかげで、背中の汗も見事に蒸発、快適な登りとなる。標高10mから300mまで一気に登り、蛙岩。雲ひとつない青空がただただ美しい。山はすっかり冬の装いで、落ち葉を踏みしめる。朝日をさえぎる鬱蒼とした森を抜けると、そこには風吹岩が待っていた。
風吹岩に着くと、何人かのハイカーがいる。それまで誰にも会わなかったことを考えると、皆は高座ノ滝から登って来ているのだろう。眼下には大阪湾が光り輝いている。そこでのんびりしていたいところなのだが、本日の目的地はまだ先なのだ。
そこから雨ヶ峠まではゆるやかな登り。途中、ゴルフ場の脇を通ったり、シシよけがあったり。また小川が流れているのだが、汚染がひどくて飲めませんの看板。最近通いつめている「比良の川の水は飲める」ということがいかに素晴らしいことか実感する。
雨ヶ峠から本庄橋までは、東お多福山経由でヨシコと歩いたことがあるが、季節が違うので、新たな表情を見せていて飽きない。そこから七曲の登りが意外と疲れる。息を切らしながら江戸時代から続く一軒茶屋に着くと、突風でぶっ飛びそうになる。疲れて頂上ではなく、六甲山の車道に出るというこの現実。普段着の老若男女が戯れている姿を見ると、この苦労が少し悲しい。一番茶屋から六甲山山頂までは5分ほど。標高931m。この山頂碑を見ていると、どうも「六甲山山頂、臭い(931)」と読んでしまう。
はぁぁ、ええ匂い。
クッカーで温かなスープをつくり、めんたいこのオニギリを頬張る。それにしても山頂で食べる食事というものは格別である。体の中からエネルギーがわいてきて、中から温まってくる。いつもなら聞こえるヨシコの「おいしいーっ!」という叫び声がないことだけが残念だが、雲ひとつない澄んだ空が本日のご褒美。
六甲山山頂は、ススキの野原。神戸の街を見下ろしながら、一軒茶屋へと戻り、そこからいよいよ下りとなる。正午を過ぎると風が出てきて、手袋をしていない手を容赦なく攻め立てる。そんなことは今のボクには苦にならぬ。もう頭の中はアレでいっぱいなのだ。
ビール!ビール!キリン!ビール!ぐびぐび!ビール!冬でもビール!
ボクの右横をトレイルランナーたちが走り去っていくが、それよりも早くボクの心は有馬温泉のビールに飛び込み大合唱。しかもゆるやかな下りだから、知らず知らずペースも上がる。次第に雲も出て来て、森が薄暗くなったり、まばゆく輝いたり。それはまるで森全体が呼吸しているようでもあり、思わずシャッターを切る。ふと、ヨシコならこの山でどんな発見をしただろうかと思う。きっと誰も気づかないような小さなものまで発見していたことだろうなぁ。
登山道で、ひとりのおじさんに出会った。おじさんはこの山奥で、皆が安心して通れるように、木と石で階段を作ってくれていたのだ。聞くと、このあたりは滑りやすいらしく、それを未然に防ぐためだとか。そのまま下るボクの背後から、鳥のさえずり、木々の揺れる音に混じって、いつまでも彼が打ち続けるハンマーの音が木霊のように聞こえてくる。本当にありがたいなぁ。
虫地獄の石碑を過ぎ、さぁ、ゴール!と有馬温泉に一歩踏み出すと同時に、着信音。見ればヨシコからである。なぜ、今ちょうど下山したと知っている?電話の向こうでケケケと笑うヨシコの声を聞きながら、どこかに隠しカメラがあるのではないかと探してしまう。恐るべし、ヨシコの勘。早々に電話を切って温泉へ。
なんじゃこりゃああ!!
金の湯のお湯の色を見てびっくり。何と、味噌汁色なのだ。これは非常に旨そうである。思わず飲みたくなる衝動をこらえながら、冷えた体を温泉であたため一息つく。ふえるワカメちゃんになる前に退散。売店のおばさんに、キリンビールを頼み、大?小?と聞かれたので、大!と答えてしまう。味噌汁の温泉から、今度は小麦の海へ。この世の桃源郷とはこのことなり。隣ではおじさんが、ありまサイダーを飲んで、「カーッ!!!」と吼えている。そんな大げさな。これはおもしろそうだと、ヨシコのお土産に一本もらう。
ヨチュオさーん!お帰りー!お土産ー!
はいはい、そう急かさない。ちゃんと買ってきましたよ。有馬の温泉水が配合された美肌石けんと、ありまサイダーを渡す。そして今晩は、魚屋道を踏破したということで、ブリしゃぶで締めくくる。出汁に薄切りのブリをさっとくぐらせて、大根おろしとポン酢でいただく。ヨシコは、ありまサイダーの栓を抜いて「カーッ!!!」と吼えた。やっぱり炭酸がきついらしい。
たまにはひとり旅もいい。その時には土産話もたっぷりと用意すること。するとその1日が互いに知らない話をあわせることで、2倍も3倍も楽しくなる。明日、体の節々が痛くなる予感を覚えながら、再び湯船につかりながら思い出す。
それにしても有馬のあの像は、ヨシコに似てたなぁ、と。
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