ひこにゃんと和蝋燭
今日も連れてこられました。
彦根城の大手門の外にある馬屋で、ヨシコは模型の馬にむかって語りかける。朝起きると快晴。寝起きの開口一番、「おいしいもの食べに行こう!」ってお腹の子が言ってるー!とヨシコの口が言うので、それならばと電車に飛び乗り彦根まで。聞くとヨシコにすれば、ちょっと遠いらしい。
車窓から見ていると草津を過ぎたころから田植えがはじまる。田園風景の中に突然現れる「分譲中」の看板は、農地が宅地へと変わることを示し、能登川あたりでは子どもたちが川遊び。まずは腹ごしらえと参りましょう。
雑誌で甲賀のオススメを見ながらランチを。
たまたまあった「冬眠知らずのくまさん情報」をじっくり読んで、ほっこりカフェ「朴(もく)」でのんびり。食べたサラダの中には日野菜も入っていて、去年お世話になった日野のUさんも田植えをされているのかなぁと、思い出す。
ひこにゃん、にゃん!
お腹を満たし、彦根城の天守閣まで歩くとひこにゃんにバッタリ。大人も子どもも嬉しそう。それを見たヨシコは、ひこにゃんは幸せを運ぶにゃんこなんだなぁと言う。
内堀では白鳥が屋形船を追いかける。
その横で亀たちが甲羅干し。ゴールデンウィークだというのに静かな彦根。ゆっくりとした時間が流れるのだ。
和蝋燭の明かりは限りなく優しい。
そう聞いてやって来ました夢京橋あかり館。数日前、「匠の国日本」という北康利さんの著書を読んでいると、彦根の和蝋燭屋・蝋喜商店四代目、古川五郎氏の写真があって、またその仕事ぶりを読んでいると、これは見に行かねばと思ったのだ。
さっそく館内に入ってみたが、古川氏の蝋燭はない。かつて彦根では53軒もの蝋燭屋があったのも昔、今は御歳83歳の古川氏が最後の彦根ろうそく職人。その蝋燭の代わりに愛知は岡崎の松井和蝋燭工房の和蝋燭しか置いてないところをみると、風前の灯火であった彦根ろうそくがどうなってしまったのか。気になるところである。
そして陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)。
これは世界で最初に発明されたペダル・クランク機構の舟形三輪自転車の復元車で、彦根藩藩士の平石久平次時光が1732年に発明したもの。1817年のカール・フォン・ドライス、1861年のピエール・ミショーの新たな発明を経て、少しずつ改良され現代の自転車になるわけである。自転車が移動手段の主力となっているボクとしては、発明してくれありがとうごさいますと頭をさげるのだ。
ヨシコが燃料切れ。
お腹を空かせたヨシコは、源三郎の抹茶ソフトクリームを食べるなり、これはおいしい!と唸る。大正13年創業。石臼で丹精込めて挽いたやや荒めの抹茶が入ったソフトクリームは、抹茶嫌いのボクでもペロリと食べれる味だった。
仲良しオカメ。
ずっとこの調子で、見ているだけですっかり楽しい!
やはりヨシコが再び燃料切れ。
どこで見つけたか、ステーキ重に一直線。ちょ、ちょっと待ってくれヨシコよ。我が家の財政で高価な近江牛を食べている場合ではないのだ。すまぬ。その代わりに近くの蕎麦屋へ入る。十割そばで昼間酒。鰹の出汁とわさびの香りがたまりません。咽喉越し最高。ヨシコはつけとろろ蕎麦でご満悦。
南部鉄器の蝋燭台に和蝋燭。
帰宅後、せっかくだからと買い求めた和蝋燭に火を灯す。櫨(はぜ)から作られた生蝋、紙のこよりと藺草(いぐさ)の芯に灯るその明かりは、やはり限りなく優しい。そしてその炎はまるで生きているように揺らめく。
江戸時代、和蝋燭は贅沢品であった。使っていたのは大名や豪商ぐらいなもので、庶民は菜種油やいわし油などを利用した行灯(あんどん)である。その行灯といえど、今で言う1~2ワットぐらいの明るさなので大抵は太陽が沈めば寝て、太陽が昇れば起きたものだろう。
初めてのまったりし隊の旅もそうだった。
ふたりでテントを担いで日本を横断していたときは、太陽とともに生活した。数週間も続けると、体が内側から変わってきて、力がみなぎった。その経験から、それまで続けていた夜から朝方までの仕事をやめたのだ。
今夜は和蝋燭の灯りを前にふたりで話し続ける。電灯と違い、蝋燭のまわりだけが輝いて見え、あの旅のときと同じく夜空の下で焚き火を囲んでいるようだ。やがてふたりとも炎に魅せられ静かになって、ただただ伝統の技に感嘆するのです。
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