« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

石清水八幡宮 鬼やらい神事

Setsubun2

男、見に行く~♪

ヨシコリのその言葉に絶句する。私は、男山を見に行くかと聞いたのにも関わらず、なぜ、「山」を抜かしてしまうのか。まさか、1歳7ヶ月にしてすでに目覚めてしまったのか。そんな想いを胸に、ケーブルカーは数分の上昇作業に入る。日々、京都へと出勤する私にとって見慣れた山河を鳥観しながら、肌を切るような寒風が通り過ぎる山頂駅に降り立つ。

Setsubun3

何があるの~。

ヨシコリは産道を出て以来、はじめて遭遇する邪気の塊に出くわすことも知らず、 参道を無邪気に歩く。頬を赤く染めながら、小さな手を清め、南総門をくぐる。13時の祭事を目当てに、今か今かと人が集まって来たかと思えば、太鼓の音とともに、太古より続く神事がはじまった。

Setsubun4

バシッ!!

鬼やらい人が桃の枝で作られた弓で四方を射る。

Setsubun5

鬼やろう!

気合の入った声とともに、桃の枝の剣で四方を打つも、気合が入りすぎて、烏帽子がぶっ飛ぶ。すると、南総門のほうから、人のざわめきが大きくなる。ヨシコリも何だ、何だとキョロキョロ。

Setsubun6

来たー!!!

来ている子どもたちがあちこちで泣き始める。そう、本日の目的はヨシコリに鬼を見せることである。先日、我が家にある本を、適当に取り出して読んでいると、その中に、子どもの躾をするときに、部族に伝わる物語で育てる一文が目が留まる。 ヨシコリを授かる前に買い求めた本だったので、そのときには記憶にすら残らなかった文章が、子育てをする今となって立ち上がってきたのである。そこには子守唄のごとく精霊や怪物があらわれて、共同体の中で生活する指針、決まり事を分かりやすく諭すのである。

酒を飲みながら、その一節を読んでいると、ほほう、これを日本で当てはめると日本昔話であって、そうなると必然的に鬼が重要になってくるなぁと、いつかヨシコリに鬼というものを見せてやろうと心に決めていたのである。

Setsubun7

福豆が飛ぶ。

私の思慮を知って知らずか、肝心の鬼は福豆によって退散され、その福豆を我先に取ろうと人々が本殿になだれ込む。もみくちゃの中で急にヨシコリが絶叫!恐怖の雄たけび。

かあちゃーーーーーん!!!

福豆を取ろうと手を伸ばす人々の気迫と欲望の手が、ヨシコリの頭上を飛ぶ豆にむけて差し出されたことで、自分が狙われていると錯覚したようなのだ。私は福豆で退散させられた鬼のごとく、群集の中から退散。

Setsubun8

ワハハハハハー!!!

やっとの思いで群集から抜け出すと、ヨシコが大笑いしている。気でも触れたのかと想っていると、ヨシコリが鎮座する背負子に手をのばし、偶然落ちてきたであろう福豆を取り出す。どうやら背を向けて逃げ出した無欲なヨシコリに、神様は福豆を差し入れてくれたのである。降ってきた「福」をありがたく受け取って、南総門をくぐると、何と退散したはずの鬼がヨシコリを待ち構えていたのである。

Setsubun9

なでなで。

Setsubun10

ギャー!!!!

ヨシコリ、やっぱり号泣。鬼の恐ろしさをその胸に刻んだ瞬間である。

Setsubun1

さて、その夜。

家族で晩御飯を食べていると、ヨシコリが食べものを粗末に扱いだした。もうお腹がいっぱいなのか、お皿から豆腐やタラをテーブルに撒き散らしはじめたのである。それを見たヨシコはここぞとばかりに鬼を登場させる。

ヨシコリちゃん、食べものを粗末に扱うと、鬼が出てきて、食べものの大切さを教えに来てくれるけど、いい?

すると、ヨシコリ。「鬼」という言葉を聞いた瞬間、ピタリと動きが止まる。小さな頭で今日見た恐ろしい形相の彼らを思い描いたのであろう。すると、小さな手をせっせと動かし、テーブルに撒き散らした豆腐をかき集めて、お皿に戻し始めて一言。

えらいこっちゃ!!

ヨシコリの関西弁全開の発言に、親は笑いをこらえる苦しみ地獄。

Setsubun12

まだまだ続く鬼地獄。

食後、いたずら好きのヨシコリがまたまた暴君発揮。するとヨシコがヨシコリを抱きながら、言う。

ヨシコリちゃん!鬼が来てるよ!

ヨシコの目をみると、後は頼むで父ちゃんと言っている。ボクはあわてて立ち上がり、カーテンの隙間から外を見て、ヨシコリ、今、窓際に鬼さん来てるけど、家に入ってもらおうか?と迫真の演技をしたのものである。するとヨシコリ、絶句。なぜか、白菜!!!と叫びながら、右往左往。

Setsubun13

こうなれば、わたし寝ます!

よほど鬼が恐ろしいのであろう。ヨシコが横にいないと寝付けないヨシコリが、何とひとりで布団に入って、プーさんを添い寝させ、寝てしまう。その姿に親は笑いをこらえる苦しみ地獄。ちょっと度が過ぎたかなと思うも、年に数回は、鬼に出てきてもらおうと思う。

一足先の節分は、こうして幕を閉じることになる。やがて立春を向かえ、再びヨシコリのために雛人形を出す日が近づく。子どもの成長の何たる早さかと、娘の寝息を聞きながらヨシコと談笑し、純米「吉乃川」を傾けた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

目からウロコ

Run1

それは突然のことだった。

高槻市駅前の彩色ラーメン きんせいで食した後、お茶でもするかと歩く。小さな商店街とはいえ、車が時たま通るので、ヨシコリの手を引きながら、いつものように歩いていると、おやおや!と思うことが起こったのである。

それはヨシコリの歩幅に合わせて手をつないで歩いていたつもりが、実は、ヨシコリが私たちの歩く速さに合わせていて、業を煮やしたように、足早に私たちの手を引いて、一歩先を歩き始めたのである。

Run2

まったりとした休日。

お気に入りの万博公園で、ヨシコは京都の料亭に関する読書に余念がない。そこには眼からうろこの事柄が詰まっているらしく、黙々と太陽の下で読んでいる。その間、ヨシコリはその空気を呼んでか、ヨシコに甘えることなく、私と公園を走り回るのだ。

Run3

帰ったら、率先して手洗い。

Run4

ヨシコが洗濯をしていたら、すぐにお手伝い。

Run5

箸を片手に、エンピツ気取りで、書いては何を書いたか説明中。

Run6

今では本を読んで!ではなく、これは何か分かりますか?と聞いてくる。

実はヨシコリは私たちの一歩先を歩いていて、私に何かを教えてくれているような気がするときがある。それは言葉では言い表すことが難しいけど、強いて言うならば、そこに一人の人間が立っている感覚である。そして、この感覚は大切にしようと思う。

蛇足ではあるが、何のために父として働くか考えるときが、1年の中で数秒ある。それは日々笑いをくれる、このヨシコリとヨシコのためと思うようにしているが、今日は、その考えが少しへそ曲がりになった日でもある。

Run8

とにかく、この2人は食うのである。

いつもは2人のエンジェル(天使)のために、日々働いていると考えていたのだが、今日の2人の食欲を見て、思うのである。

あぁ、2人のエンゲル(係数)のために、働いているのだと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

靴下事件

Kutsusita1

寒すぎるー!

今年一番の寒波の中、万博公園に向かう。久しぶりに背負子にヨシコリを乗せると、すっかり大きくなっていたことに気づく。風が冷たいのだが、我が家にはヨシコリの手袋がない。以前、買い求めに行ったのだが、その小さな手に合うものがなくて、断念したのである。しかし、今日の風は冷たすぎるので、何とかしなければとヨシコが考えた結果。

Kutsusita2

靴下だよーん。

ヨシコリもしっかりと理解しているらしく、靴下を手に着けると、すぐさま両手を床につき、四足で歩き出したものだ。大人、大笑い。

Kutsusita3

ひー!

ヨシコリは、すべり台が好き。しかし、よく見ると今日はいつもと違うポーズで遊び続けている。

Kutsusita8

わたし、靴下、手につけてますねーん!

そんな声が聞こえてきそうなぐらい、両手を見せびらかしながら走っているのである。

しかも、滑り止めついてますね~ん♪

みんな、最新のファッションを見ておくれ~♪ららららら~♪

Kutsusita4

そんな娘を追いかけるヨシコを見ていると、あれっ?と思う。

そう、後姿がそっくりなのである。しかも、今日は、服装似すぎ!

Kutsusita5

笑顔もつかの間。

時たま降る雪の中、ヨシコリが大好きなボールを家に置き忘れたことに気づき、即席でボールを作ろうと、ヨシコが授乳ケープをボール状に丸めてヨシコリに投げてやる。

Kutsusita9

するとヨシコリは、それが授乳ケープであることに気づき、授乳ケープ=おっぱいタイムという本能が覚醒され、突然、号泣!おっぱい連呼。すぐさま授乳室に直行する。

Kutsusita6

えー、わたし泣いてましたっけ?

授乳後、ヨシコリはとぼけた顔で背負われる。欲求が満たされると、気分転換は早いものである。しかし、お腹が満たされると、次の欲求が襲い掛かってくる。そう、睡魔である。背負子の中で、ふらふら。

Kutsusita7

睡魔に勝てず。

帰宅後、手袋ならぬ靴下をはずす。そんなことにも気づかず、ご飯の支度に取り掛かるヨシコの音を聞きながら、そのままヨシコリは寝続けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

初詣

Kannonji1

へーい!

こんにちわ。最近、靴下を脱いだあと、足についた埃をいつまでも取り除くことが好きなヨシコリです。そんなわたしにお父さんが、調子にのって自分の足の間の埃も取らせようと、大きな足を差し出してきたのだけれど、その足の匂いを嗅いで、

うんこ?

と、言っておきました。

Kannonji2

そんな父ちゃんに抱かれて登る石段。

とっても長く、急な石段の先には、目指す山崎聖天さん。毎年、決まってここに初詣に来ています。わたしの視線の先には…。

Kannonji3

へっぴり腰の母。

高所恐怖症で、毎年、怖がっているのに、一番来たがるのです。そして、登りきったあと、ふー!よくこんな私が、アンコールワット登ったなぁ!と、過去の思い出したくない高所のひとつを挙げて、満足げな顔をするのです。ただ、お父さんによると、過去最高に高所で母が号泣した場所は、上高地にある焼岳の山頂だったそうです。そのときのセリフは、

何でこんなところに私を連れて来たのよー!

だったそうですが、お父さんによると、お母さんがせっせと付いてきたそうです。

Kannonji4

今年も健康家族でありますように。

にんにく卵黄のような思いでお参りしたあと、人生初のおみくじを引きました。結果は吉!縁談来るでした。帰りの山道では、粉雪が木漏れ日の中を風に煽られてキラキラと輝きます。まるでダイヤモンドダストのようでした。

Kannonji5

母ちゃん、抱っこして~。

人生初の文章がそれだったわたしですが、今日は山道なので、仕方なく父ちゃんに抱っこされて下山。アンパンマンの歌を歌いながら家路につきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日々是好日

Hibikore1

準備するのだ、皆の衆!

寒空の下、こだまするポン菓子屋さんのバーン!という破裂音に、「宇宙!」と叫んだビッグバン、ヨシコリは、お気に入りのパンダのぬいぐるみ「ヒロシくん」のお母さん気取りで支度をする。

Hibikore2

今日はヨシコの生誕前夜祭。

私は、少ない脳みそをフル回転させ、ヨシコリも疲れないほどの距離で何かいいアイデアはないかと考えた結果、電車で1本、京都、河原町の料亭のランチに誘うことにした。

Hibikore3

露庵 菊乃井。

金箔入りのお屠蘇を注がれながら、正月気分に逆戻り。今年の正月は、日本酒を飲み続けたもので、純米酒特別栽培米「福寿」にはじまり、純米大吟醸酒、「井筒屋伊兵衛」、瀧自慢「滝水流」、純米大吟醸「洗心」、特別純米「東北泉」、純米酒「鶴齢」などの空いた720ml瓶やら、一升瓶が台所に転がっている。ここ菊乃井オリジナルの日本酒もいただいたのだが、竹筒を模した銅の冷酒器に入っていて、風情があって美味し。

そうこうしていると、私の八寸をヨシコリが食べ始める。どうやらヨシコリも美味しいものには目がないらしい。その後、明石の鯛、こしび(マグロの幼魚)の横に添えられた山葵に気づいたいヨシコリは、しきりに食べると言う。ヨシコと目を合わせ、それなら一度、地獄を見てみるがいいとばかりに、ほんの少量、そのまま口に入れてやる。ふふふ、それ今に涙がでるぞとばかりにほくそ笑んでいると、ヨシコリ絶叫。

Hibikore6

おいしいぃぃーー!

えー!嘘やろー!と、大人が負けてしまう始末。確かにそのまま食べても香りがよくて、美味かった。水前寺海苔もコリコリして日本酒に合う。生姜餡の椀物の時など、全体的に食器も美しく、ヨシコリはしきりに「花」「花」と、それぞれの器に興味を持ったようだ。

最後の子柱の炊き込みご飯を食べると、椀の下に松の枝が描かれ、〆の形になっていているのにも関わらず、美味しすぎて、2人してお代わり。常日頃、京都のランチは私にとって前菜に過ぎない!と豪語するヨシコも、お腹もしっかり満たされたらしい。

Hibikore4

デザートは別腹。

露庵 菊乃井を出て、15分。お気に入りのタルト屋、キル フェ ボンに到着したヨシコは、黒イチジクのタルト、シブースト(シブーストクリームに甘酸っぱい紅玉リンゴのタルト)、をペロリ。

はぁあ、生誕「前昼祭」最高!と、ヨシコ。

えっ?前昼祭?

そうよ、これから、前夜祭よね~。そして明日が本番、生誕祭よね~。ケケケケケー!

あっ、そう。

Hibikore5

三条から四条へ。

京都参上から至上最速で食べ続けるわが隊。振り返ると北山には雪が見え、鳥の群れが澄んだ空を旋回する。寒風の中、先斗町の明かりが鴨川に揺れる前に、帰宅しようと歩き続けるヨシコとヨシコリ。

日々是好日。

露庵 菊乃井の個室にかけられた言葉を思い出しながら、これからも日々を楽しもうと彼らの後を追う。先ほどの贅沢な食事の話をしながら、今晩の晩御飯を考えたとき、ヨシコと目が合い、ほほう、お主もそれを考えていたかとばかりに、互いに口にする。

あぁあ、ラーメン食いてぇ!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

明けましておめでとうございます

2011_7

2011年がはじまりました。

今年も寝正月をしようと心に決めていたので、美味しい食材を買い求め、ヨシコが細やかなお節料理を仕込んでくれる。

2011_5

昨年よりもさらに料理の腕をあげたヨシコの手料理は、昨年の疲れを吹き飛ばしてくれる。まったりおせち2010と題された数々であるが、なぜ、2011ではないのかは謎である。

さて素朴な食材の味を引き出すその技は、日々の鍛錬の賜物。ヨシコリも、見たことがないような笑顔で、美味しい、美味しいを連発する。1才6ヶ月のわが子の舌に狂いはなく、私の箸も、小鉢の間を忙しなく行き来するのである。

2011_2

うめぇええ!

灘の酒、純米酒特別栽培米「福寿」を大晦日から飲み続ける。繊細な元旦の手料理を控え、精米歩合70%の爽快な辛口しぼりたてが、ググッ!と喉をとおる感触がたまらない。

2011_3

うへぇええ!

いざ迎えた元旦の、その素材を生かしたヨシコの手料理には、伏見の純米大吟醸酒、「井筒屋伊兵衛」を用意する。酒造好適米「祝」を全量使用し造り上げたとあって、何だかめでたいではないか。

2011_4_3

母の味。

ヨシコリもたくさん食べながら、それを感じていることであろう。ヨシコも、つくったことのない料理は、とある本を参考にしながら、包丁を振るう。その本を垣間見たことがあるが、その文言が心地よい。最近の本ならば、2~3分加熱すると書かれていようところを、「一呼吸して」と、感覚的な文言で指南しているのである。それはきっと頃合をはかり、食材と向かい合うということ。様々な食材を前に、目から受け取る情報を、経験と感性という計りをもって一品を完成させる働きから、舌をとろけさせる至福の時間が生まれるのである。

2011_6_2

年始の定例行事。

毎年、年始には、義父とお酒を酌み交わすことになる。ヨシコリは今まで人見知りを繰り返してきたけれど、ヨシコと私を除いて、唯一、人見知りを一度もしなかったのが、義父である。義父は、食と酒にうるさく、どんな料理屋に行っても、うまい、まずいを評する人でもある。それは、こうあって欲しいという意思の表れであって、私からすると、到底、その境地までたどり着ける類のものではない。

2011_1_2

しかしながら、その言葉の端々から、若輩ながら感ずるものは多々あって、その人から受け継いだ味覚が、ヨシコの手料理の素晴らしさの一部となっていることは想像に難くない。そして、私は、義父のそのような薀蓄を肴にしながら飲む酒というものが、たまらなく好きなのである。きっと、そこに名のある酒蔵の銘酒でなく、エチルアルコールであれ、メチルアルコールであれ、くだらない料理酒であっても、笑いながら飲み干してしまうことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »